−生きるうえで大切なことー 365日のメッセージ 私たちにとって最も重要な「生きる意味」や「自分自身の今世の使命」。その答えとなる神聖で素晴らしいメッセージがいつも私のもとに届いています。 メッセンジャーとして、リアルタイムに皆様にお伝えしています。

第24回 中国紀行 ~シルクロード編 2~

 
 町の中心地から約1時間のところに秦の始皇帝が眠るとされる秦の始皇帝陵があり、その隣に兵馬俑坑があります。
 秦の始皇帝の最強精鋭部隊の陣容を形づくっている膨大な数の等身大の兵士の埴輪が立ち並び、それを見た時には、始皇帝がどれほどの絶対権力を持ち、支配していたのかを思い知らされました。
 また、驚くことに兵馬俑の一つひとつの顔が皆違い、その工芸技術の高さと精密な兵士の姿を見ると、どれほど多くの者たちがこの兵馬俑の制作のために人生を費やしたのかと考えさせられ、感動というよりはむしろ息苦しさと胸の痛みさえ覚えるのでした。
 秦の始皇帝の時代には私は中国にはおりませんでしたが、心の奥深い部分で権力者が弱者をとことん痛めつける姿に私自身、過去の同じような体験から深い怒りさえ感じるのでした。
 私が過去世をリーディングし、さらに過去の自分をまざまざと思い出すようになってからは、その場所、場所における過去の映像は他人ごとではなく、まるで自分の体験のように感じることから、兵馬俑の博物館では少なからず感動と喜びというよりは、まるで辛い体験を思い出したかのようになってしまうのでした。
 しかし、博物館の売店でその兵馬俑を発見したという老人が丁寧に、博物館が制作した書籍に自筆のサインをしている姿を見て、息をのむような思いに駆られました。
 パイプをくゆらしながら、奢ることなくただ淡々と求めに応じてサインをしているその老人の中に、先ほど見た兵馬俑を熱心に作っている男性の姿が浮かび上がってきたのであります。
 2000年以上の時を越えて、その老人は再び、中国に生まれ変わり、なおかつ兵馬俑を畑から発見した者として名前が知れ渡ったのでありますが、奢ることなく、お金に走ることなく、かつて自分が作った兵馬俑を守るがごとく、この博物館の売店で座っている姿を見て、私は心からよかったと感じるのでした。
 気持ち良さそうに煙草のパイプをくゆらす姿を見て、かつて兵馬俑を作った者たちは、決していやいや作らされてわけではなく、むしろ芸術家のように作品をこよなく愛していたという一端を垣間見た気がして、ようやくこの場所にきて良かったと感じることができました。
 博物館を出て出口に向かう通り沿いに売店が両脇に立ち並び、中年の女性たちが競い合うように甲高い声で客を呼び込んでいるのですが、その中に一人の老人がアケビの入った籠をさげて、ただ立っておりました。
 その姿があまりにも悲しげで、他の売り子と違い声を出すこともなく、申し訳なさそうにアケビを売っているのでした。
 彼の背後には過去で傲慢だった兵士の姿が見え、2000年以上前、彼は権力をふるい、兵士として多くの民衆や農民を支配下に置き、様々な人々を苦しめていた姿が浮かび上がるのでした。
 しかし、今世は逆にそれほど豊かでない身なりから推測できるように、身分の低い農民として人生をやり直していることがわかりました。
 この兵馬俑坑を中心とする空間の中に、かつて絶大な権力をふるった者たちと、虐げられた者たちが逆の形をとって生まれ変わり、様々な体験をしているのだと改めて感じるのでした。
 何百回となく繰り返される輪廻の中で、我々は体験をとおしてのみ成長、進歩できるのであり、私はますます一人一人の過去世を解き明かし、その方が今世どう生きるべきか、どのように進んだらよいかを知るチャンスをお伝えしたいと感じるのでした。

第23回中国紀行 ~シルクロード編 1 ~

 中国へ行ってきました。北京から始まって、ウルムチ、トルファン、敦煌、西安とシルクロードをたどりながら、様々な歴史の記録を体験してまいりました。
 見渡す限り続く広大な砂漠と点在するオアシスの光景を目の当たりにしながら、かつて多くの者たちがこの道を徒歩やラクダで数千キロにわたる旅をしたことを考えると、過去の人々の偉大なる功績に感動を覚え、感謝の念さえ湧きあがってくるのでした。
3000名以上のクライアントの過去世を見てきた私ですが、中国に過去世を持つ方がかなり多く、私としては直接中国の大地に触れること、その土地が織りなす香りと、風と空気を肌で実感しながら中国の過去世における人々の体験をさらに五感をとおして感じることができるようになりました。
 私の表面意識は中国という国をあまり好まず、むしろあまり訪れたくないという気持ちがありましたが、今回どうしても行かなければならないような気がして、ようやく中国の大地を体験することができました。 
 最初に北京の紫禁城を見たとき、正直私の中で紫禁城をはじめて見るというよりも、血なまぐさく、どろどろとした権力闘争に明け暮れた世界がよみがえって来て、できればあまりここにはいたくないとさえ感じるのでした。
その後、飛行機を乗り継いで天山山脈が見える盆地の町ウルムチに着きました。ウルムチは乾燥し、風が爽やかであり、北京とは違って私はほっと安堵の息をもらすのでした。
 この風の香、懐かしい天山山脈の山の風景は、私が遥か昔この地域にいたことを感じ、これからはじまるシルクロードの旅の中で、自分の過去における体験が取り戻せるであろうと予感するのでした。
 特にウルムチからトルファンに向かい、火焔山の麓にあるベゼクリク千仏洞を訪れた時には、さらに懐かしい記憶がよみがえり、草の木一本生えない山の峰々の間に、忽然と川が流れ、緑が生い茂っている姿を見て、自分は間違いなく1000年以上前にここを訪れたことがあると感じるのでした。
 洞窟の中に描かれた様々な壁画は無残にも多くが傷つき、はぎ取られ、悲しい思いになったのでしたが、赤とブルーの絶妙に配置された誓願図を見た時は傷も少なく、守られていてよかったと心から感じるのでした。
その日午後、ウィグル人の農家でお茶を飲み、名物である干しぶどうをいただいた時には、かつて自分が味わった食事や果物、そして水の香が強くよみがえり、いつまでもそこに留まっていたいとさえ思うのでした。
 1000年前の自分の過去世の体験は現在の私に様々な影響を与えており、機会がありましたら、その時の私の過去世を解き明かしながら、いずれその当時の歴史を紐解くことができたらと考えております。
  その後、敦煌をめぐり、西安にたどり着きました。碁盤の目のように整備されている西安の町を偉大なる漢民族が作り上げた城壁の上から眺めると、中国の偉大な歴史を垣間見ることができ、かつて自分もこの中国にいた者として、さらに中国の歴史、並びに中国の文化、生活様式などを学ばなければならないと感じたのでした。

第22回 今後の地球環境に対して、我々ができること

 現在、世界中で報じられている地球の様々な予兆について、最近「不都合な真実」をプロデュースした元アメリカ副大統領、ゴア氏がノーベル平和賞を授与し、さらにはそれまで様々な自然災害、並びにテロ事件の発生を予兆したブラジル在住の男性ジュセリーノ氏がゴア元副大統領の受賞を予知し、見事に当てたため、ますます地球の温暖化をはじめする多くの自然災害や地球の存亡に関わる様々な問題が現実化するのではないかと多くの者が不安と恐怖に駆られているのであります。
実際私も2012年の問題からはじまって、様々な予兆や予言されたことが実際に起こるかどうか様々な方から質問を受けました。私はそのような質問に対して一貫して答えてきたことは、少なくともここ5年から10年以内に様々な自然災害や地球環境の変化は起きるであろうということは感じられますが、それが壊滅的な状態となり、地球が滅びてしまうといったことに対しては懐疑的であり、むしろそのようなことを広めようとすることによって逆に大きな悪影響が出てしまって、多くの者の不安をかき立て、さらに地球のエネルギーを破壊してしまうということでした。
地球の消滅というカオスの世界ではなく、本来の地球の自然や環境、エネルギーを守るためには、我々一人一人が精神性を高め、今、自分たちが何をしたらよいか、何をすべきかを真剣に考えて、自らの信ずるところを行なうことが、私は大切であると考えます。
恐怖に満ちた思いで何かを行おうとしても、それはすべてマイナスのエネルギーになってしまうことが多く、決してよい結果をもたらしません。それよりもどれだけ我々がポジティブな思いで地球を愛し、必ずこの大切な地球を我々だけでなく、大いなる存在も含め、高貴な霊たちが守護し、導いているかを信じて、今後の生活を行なうことが地球環境を守る上で最も正しい方法であると考えます。
現代の医療体制はほとんど肉体だけが重視され、病気の原因がその人自身の精神性や深い意識からきているとはほとんど理解されておりません。
しかし、ようやくWHO(世界保健機構)のWHO委員会で健康の定義に「健康とは、(中略)身体的、精神的、社会的および霊的(スピリチュアル)にダイナミックに安寧な状態である」と改めようという提案なされました。討議の議題から外されはしましたが、この提案が世界の各界に大きな衝撃を与え、ようやく肉体と心とエネルギーという総合的な健康を考えようという流れが出てきたのであります。
しかし、一旦、地球に関することとなると、未だに人間の肉体的な健康のみを考えるような医者と同じく、様々な地球の危機に関しても、ひたすら現象的なことばかりに心を奪われてしまい、地球の本来の目的や精神性、エネルギーについてはほとんど報じられることはありません。
地球を含めすべての星や惑星にはそれぞれ寿命があり、ただただ、「危険だ、危険だ」と騒ぎ立てるのは、少なくとも地球に住む人類としては、地球を守るという目的からははずれているとしか考えられません。
 人は誰でも病気にかかりますが、人は病気になってはじめて今までの人生と向き合い、病気を治そうと努力するのでありますが、その過程の中で自分本来の目的や使命に気づき、人生を豊かに歩めるようになることも多いのであります。
同じように現在、地球のおかれている状況に対しても、我々が一致団結して地球を守り、救おうとすることにより、我々は進歩、成長することができるのであります。
それこそが地球が我々に対して発している重要なメッセージであると考えます。
無数にある星の中には何度もその星に住む生命体の破壊活動により、その星が消滅したということは実際にあったことでありますが、今回の地球のこのような状況の中で、我々は地球温暖化による環境破壊や様々な自然災害という現象面ばかりに目を奪われてしまい、地球が破滅するかのような情報を流し続けるのは、地球の意志とは大きくかけ離れていると感じます。
地球自身の意識とコンタクトした私としては、むしろ地球自身が自らの体を差し出し、私たちに人類の真の目標を目指すように教えて下さっていると考えます。
 だから今こそ我々は環境破壊や様々な問題を解決するために、自らの生命の大切さや精神性を高める必要があります。
その結果、我々人類の精神性が高まると、もっとも大いなる存在や高貴な霊たちと共に、本来の美しい地球環境、を取り戻すことができるのではないかと思っています。
確かに現在のままでは決してよいとは思っておりませんが、もし、病に倒れ、瀕死の重病人がいるならば、その重病人に対しては医者が直接、救命のために全力を注ぎ、その者を愛する者たちが、その者が助かるように祈りを捧げ、力を集中して助けようとします。
しかし残念ながら祈りをする者たちが充分な力や能力を発揮できなければ、どんなに多数の者が祈っても、なかなか効果が現れないのも事実であります。
ですからただただ地球の環境が良くなります様に、恐ろしいことが起きませんようにと祈っても、徒労に終わってしまうことも多く、それよりはむしろ、自分たちの精神性を高め、この地球に住まわせていただいていることに感謝する事の方が、よい結果をもたらすものと考えます。
利害関係にまみれた政治家や企業の代表者、そして地球環境の専門家と称する学者たちがどんなに危険であると騒ぎ立てても、結局、現在の地球の状況は変わらないのであります。
ですから自分たちの大切な地球を守るためには恐れや不安ではなく、心から地球に感謝することが大切であると、私は皆さんにお伝えしたいのです。
 感謝の祈りはこれまでにも様々な不幸な出来事を回避し、奇跡をもたらしました。
今後も我々一人一人が地球の環境が改善されるように、さらに地球に対して感謝の祈りの輪を広げることが大切なことであると考えます。
 私が地球の意識とコンタクトし、メッセージを受けたことは、まさにこのことであり、我々が精神性を高め、感謝し合う人類となるならば今回の地球の危機的状況は充分に回避することができ、我々人類も本来の目的に向かって、さらに発展、成長前進することができるのであります。

第21回 人生の計画はいつ、どのように行われるのか4

 なぜ、私が自らが作り上げた計画書や人生の目的を知ることができたかについて今回はお話したいと思います。
 それは、私の前世であるインド人の修行僧が、二十数年にわたる身を削るような厳しい修行のおかげであると感じています。
 その前世の私は、修行の中で禁欲主義的な人生を送りながら求め続けたものは、人生の流れを知り、それを効果的に間違いなく達成するにはどのようにしたらよいかという方法論を延々と指導僧や大いなる宇宙の存在に尋ね続けたのであり、志半ばで過去世の私は崖からの転落事故という結果により、その志しを来世の私に託したのでありました。
 私はまず自分の人生の使命と目的を知ることにより、今世の自分がどのように歩めばよいか、何をすればよいかを間違いなく知ることができたのであります。
 すなわち、「過去を解き明かし、未来を語り、癒す者」という使命は過去の修行僧である私が望み続けたことであり、私はその意志を引き継いだものとして、それを達成するために今世の人生を選び、それを実際におこなうという計画書を作り上げたのでした。
 しかし、前世の私はあまりにも幼い頃から神秘主義であり、精神的な世界に入りすぎてしまい、三十歳で亡くなるまで、ほとんど交わるのは修行僧と一部の人間だけという狭い社会環境であったため、確かに使命に基づいた人生を行うということはしっかりと決めていたのでありますが、その前に、充分に平凡な幼年期、青年期を送り、実際に過去世の修行僧の望みを果たすべく、人生の転換期にいたるまでは、充分にそのような平凡で楽しい人生を送ることにより、過去でできなかったことを行ない、その上で今世における最も重要なことを行なうというタイムスケジュールを作ったのでした。
 もし私が過去の修行僧にように幼い時から精神的な世界に入ってしまえば、過去と同じ人生の繰り返しとなるため、そのような人生に対して拒否感や違和感が強くでてしまい、途中で挫折することになったかもしれません。
しかし、私の父や母は、宗教に対してほとんど無関心であり、私の環境は精神的な世界とは無縁であり、実際私も神仏に対する思いはほとんどなく、二十歳までは世俗的な喜びに焦点を当てており、まったく精神的な世界に若い時から埋没することがなかったことは、今更ながらにラッキーなことであったと感じるのであります。
 もし、私の考えが浅かったなら、早く精神的な道に入るために、両親ともども熱心な宗教家であり、スピリチュアルな仕事を行ない、私もその環境の下で成長していけば早い時期から精神的な世界を知り、早い時期にそのような世界で成功を治めるといったことも考えられたでしょうが、呆れかえるほど私の父親は自分の姉が沖縄で霊能者として働いているにもかかわらず、父親は実の姉を嫌い、霊能者の姉に対して批判すらしており、私にも常々おかしな世界に入らないように、病気は医者に任せたほうがよいと教えられたのでした。
 当時私は、叔母にあたるその女性と何度か会ったことはあるものの、父親の影響でまったくそのようなことに興味をもつことなく、少年時代を過ごすのでした。しかし、薬好きな父と違って、私は全く薬に対する強い拒否反応があって、どんなに体に痛みがあったり、風邪により熱を出しても両親に怒られながらも薬は絶対に飲まず、両親をはらはらさせたりもしたのでした。
 表面的な宗教観や人生観は平凡そのものでありましたが、深い意識の中では病気やありとあらゆる人生は薬では治せないし、ましてや西洋医学という世界においては生命の根本的な治療はできないという思いは薬をまったく飲まずとも必ず体の生命力が病気や問題を治してくれるという信念があったように思います。
 そのような両親のおかげで私は充分、自分で人生の目的に気づくまで過去にできなかった両親の愛情を充分に受け、家庭的な体験をすることにより、ある程度平凡な生活の体験に満足し、納得した上で過去世の目標と使命を自らが望んで引き継ぐことができたのだと感じております。
 しかし、自分の使命や目標に気づいたとはいえ、そのことを実際にどのようにおこなったらよいか、どのように進めたらよいかなどまったくわからず、その当時は獣医師として病院を経営しておりましたので、仕事が終わった後、深夜まで、確かに行き先はわかっているがどのように進んだらよいかわからない、まるで砂漠で道に迷った旅人のように天に向かって助けを呼び続けるのでした。
 今振り返ってみても、その当時は、リスクの多い時期であったと思います。何度も投げ出したくなるようなこともあり、あるいはあまりにも辛い精神的な状態のため、もう少しこのような状態が進めば気がおかしくなっても致し方ないという状態にまでなることもありました。
 ただ必死であった、命が助かりたいために命の水を求めてオアシスを探し求めるような旅人の状態であり、一旦。オアシスが見つかったと思ったときにも、すぐそのオアシスの水は枯れてしまい、再び別のオアシスを探すといったような状況の中で、心身ともに疲れ果て、これ以上一歩も進めないという混乱と苦悩の中でようやく実際に私を導く高貴な霊の存在が深夜、私の病院の中に光として現われてくれて、私にどのように今後進めたらよいか、何をしたらよいかを教えてくれるのでした。
 その高貴な霊は私にこのように伝えました。「お前がどれだけヒーリングの世界が好きかどうかを試した。悩み苦しむ者を心から助けたいという真実の思いがお前にあるかどうか、さらにお前が自分の影の姿に気づくかどうか(影の姿というのは、その時には私には全く理解できませんでした。しかし、その後、自分には様々な弱点やネガティブな思いがあり、決して私がこのような人生を歩むことになったのは、自分の性格や資質が優れているからではなく、むしろその弱点や後ろめたさを解消するために、このスピリチュアルな道を選んだということに気づき、決して自分が優れている存在であるという傲慢な気持ちをもたないようになったということ)試され、この3つの事項を確かにクリアしたことがわかったから、今日、お前は神聖な部屋に入ることが許された」と言って、私を祝福するのでした。
 その後は私は毎晩、ヒーリングマスターと呼ばれる霊的な存在から指導を受け、今後、どの様にこの世界を進めていけばよいのかを指導され、教育されていくのでした。

第20回人生の計画はいつ、どのように行われるのか3

 前回はどのようにして人生の計画書が作られるかについてお伝えしましたが、今回はそれが現実生活でどのように活かされるのか、私の経験を交えてお伝えしたいと思います。
 我々は過去世の体験に基づいて、自らがシェアリングソウルメイトと協力のもと、計画書を作成しますが、その計画書による束縛や規制はほとんどなく、あくまでも自分自身の自由意志に基づいて歩という形をとりながら、生まれ変わった人生において中間世で作られた計画書をまったく忘れたかのようにしながら人生を歩んでいくのであります。
 また、忘却の幕がなければ、私達は中間世で作られた計画書をまるごと覚えているわけですから、ほとんど解答の付いている試験問題のようになってしまい、自らの努力と力で解決するという喜びを持てずに終わってしまうのであります。
 実際私も、生まれてから二十歳ごろまではまったく精神的な世界や宗教的なことには興味がなく、ごく普通の平凡な人生を送っていたのでありますが、大学受験を何度も失敗するという経験や精神的な不安定さ、心の弱さなどを次第に痛感してくるようになり、その自分の失敗や弱さも、体験のおかげで本来歩むべき道である精神性の道へ、フォーカスすることができるようになり、今までの人生とは全く違った道へ進むことができるようになったのであります。
 特に25年間にわたるクリスチャン生活は私にとって多くの学びを得ることができました。自由奔放で、どちらかといえば直観型の私にとっては、クリスチャンという生活の中で、神に対する信仰心、忍耐、組織の中で自分の感性を充分に生かせないもどかしさ、などなどを体験しながら、より本来の自分にあった精神的な道を歩むための善し悪しを経験として教えてもらったのでした。
 私としてはその当時は自分の人生はこの道を歩むしかないと考え、心から信じて25年間、過ごしてきたのでありますが、常に心の中に寂しさと深い満足という経験は得られず、次第に心の奥底で「たぶん自分はこの方法では精神的な道を続けることはないであろう」という思いが強くなっていくのでした。
 そして、34歳の時に体験した突然の妻や二歳半の娘との火災事故による別れは、私の中に強烈な衝撃と本来の道を歩まなければならないという教訓を与え、悩みに悩んだ末、一度死んだと思えるような経験をした私は、再び命を生きながらえたのなら、本当に自分の道を歩まなければならないという気持ちがわかき上がるのでした。
 その後人生は今までとは比べようのないほど、次々とめまぐるしく変わり、気がついた時には私のなすべきことや、今世、行わなければばらないこと目標、使命に気づくようになってきたのであります。
 そこに至るまでの数年間は、まるで嵐に巻き込まれた小舟のようであり、体験的には本当につらくて逃げ出したくなることもたびたびあり、さらにこれまで行なってきた事や、自分が目指してきたことが間違っていたのではないかという疑念が湧きあがり、もうこれ以上、一歩も前に進めないという気持ちにさえなったのでありました。
せっぱつまった私は、本当に間違いのない人生を求めるために、それまで外面的で、世の中で認知されている宗教よりも、自分の本当の生き方や目標を見出すために、深い自己の意識や宇宙の大いなる存在からの神聖なメッセージを受け取るための作業をはじめるようになっていくのでした。
 それまでは、与えられた信念体系や戒めという規則に則って道を歩めば必ず天国に行けると信じていたのですが、本当の天国は地球から遠く離れた誰もわからないどこかの星にある天国というものではなく、自分の心の在り方で、まさしく天国にも地獄にもなりうるということがわかったのでした。
 それからそれまで神はひとつであり、それ以外のものは神ではないという教えや自分の信念は、大きく変わっていき、特にインドにおいて霊性修行をはじめるようになると、実に多くの神々が宇宙に実在し、その神々が協力してすべての生命を導いているのだと理解できるようになると、ようやく私の心の中に間違いない道を歩もうとしているという実感がわいてくるようになるのでした。
 その後、直接様々なメッセージを受け取ることができるようになった私は、自らの何世代にもわたる過去世を高い存在から教えられ、その流れのもとで自らが今世、どのように歩もうとしているのか、何を果たそうとしているのかを幻ではなく、現実のこととしてはっきりと知ることができるようになり、ついに中間世における自分の作り上げた今世の計画書を垣間見ることができるようになり、ようやく私は今、自分の計画した道を間違いなく歩んでいるのだという安心感と満足感に満たされるようになるのでした。
 なぜ、私は忘却の幕を通過して、通常ではなかなかあり得ない自らの作り上げた計画書や人生の目的を知ることができたかということは、次回のブログでお話したいと思います。

第19回 人生の計画はいつ、どのように行われるのか2

 今回は、具体的のどのように計画書の見直しがされるのか、また計画書を作成するのかお伝えしたいと思います。
 まず、計画書の見直しは計画書全般に渡って行われるため、その確認は膨大な計画書を見直すことからはじまり、ほとんど一人一人のソウルメイトは、確認のために忙しくしなければばらないという状況になるのであります。
 私はインドの前の英国、ならびにその前のアメリカ、ブラジル、ポリネシアと順次それまでに作り上げてきた二百数十枚以上に渡る空間に浮かぶ映像的な計画書を見直しながら、もっとも新しいインドにおける計画書、ならびに達成率を比較、検討しながら、来世における計画書を一つ一つ、年代を追って計画を進めていくのであります。
 特に重要なことは、ある程度、それまでの過去世における体験から来世における寿命の年数をあらかた決めていき、それに基づいてたとえば私ならば、生まれる時の環境、幼年期、少年期、成人期、老年期といった区分の仕方で自分が達成するための目的にあわせて様々なエピソードや出来事、ある時は病気や事故なども含めて、自分が来世において体験し、それを乗り越え、成長するという計画書を作っていくのであります。
 当然その時に重要なことは、それまでの自分の体験のみならず、シェアリングソウルメイトの体験、ならびに様々なプログラムを自分の計画案に取り入れることであり、自分ひとりだけの計画案でも大変なことですが、私は6人のソウルメイトのそれまでの体験に基づいた情報を自分の計画案に取り入れて、まるでこれ以上完璧なものはないというくらいの精妙、かつ微妙な内容まで組み込まれた計画案を作り上げていくのでした。
 その計画案を作り上げていく頃には、地球時間でいうならば、すでに三、四十年はゆうに超えており、中間世における計画に要する年数は、ほぼ四、五十年の間となっていますので、その後もやはり、来世における経験をするための漏れがないかどうかを確認するのに時間を要するのであります。
 私にとってインドの人生を終え、中間世に戻った時に忘れられない出来事が一つあります。それは、私がほぼ今世における計画案を作り上げ、最後の7人目のソウルメイトを待っているときのことでした。
ソウルメイトが戻ってくる頃になると、中間世の部屋は雰囲気が変わり、浮き浮きした気持ちと、戻ってきたソウルメイトがどのような経験をしたのだろうかという興味に満ちた思いで迎えるのであります。
 しかし実際には霊体としては表情にでることはなく、ほとんど整然と出迎えの儀式が行われるのでありますが、最後に戻ってきたソウルメイトは、第二次世界大戦でナチスの捕虜収容所に入れられ、ガス室に送り込まれて、恐怖とパニック症状を強く持っていたため、本来ならばすでに中間世に戻っていなければならなかったのですが、そのソウルメイトは強い憎しみと悲しみをもってアウシュビッツの近くの森に隠れ続けていたということでした。
 さすがにあまりのひどい経験と状況のため、ソウルメイトは皆、一斉に本人を取り囲み、エネルギーを分け合い、その霊体を助けようとしたのでしたが、あまりにもユダヤ人の女性として苦しい経験をしてしまったため、ドイツ人の経験をしたソウルメイトが近づくことを決して許さないのでした。
 当然、ドイツ人のソウルメイトは1800年代後半に亡くなっており、第二次世界大戦におけるドイツ軍のユダヤ人に対する残虐な行為はまったく関知しておらず、責任はないのですが、ユダヤ人の経験をしたソウルメイトは、霊体の膜が破れるほど怒りと悲しみを表し、最も重要な情報の交換が行われなくなってしまうのでした。
 中間世における原則は、ソウルメイトすべてが平等に経験や情報をすべて分け合い、共有することですから、このままではソウルメイト7人全員が地球に旅立つことができなくなってしまうため、とうとう私たちは私たちを導き、守り続ける高貴な霊であるガイドに助けを求めるのでした。
 多くの中間世における部屋では、完全に愛情が満たされたり、許しがおこなわれたりすることはほとんどなく、中間世におけるそれぞれの位置する魂のステージによっても違いはありますが、むしろ完全に納得して次の人生に旅立つということは珍しく、私の中間世の部屋では、このままいけば私たちの中にドイツ人に対する強い憎しみと、心に強い憎しみの波動を受けたままになったしまうため、高貴な霊のガイドによってソウルメイト全員が集まり、あらためてそれまでにおける経験とプログラムを見直し、さらに計画書に基づいた話し合いが行われるのでした。
 皆さんもご存じの通り、ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺は多くのユダヤ人に耐えがたいほどの苦しみと悲しみを与えたのでしたが、私たちの中間世の部屋でも、体験して帰ってきたばかりのソウルメイトを取り囲みながら、そのソウルメイトが感じた苦しみを共に共有するのでした。
 通常は先ほどもお伝えしたとおり、体験を共有する場合、霊体ですから具体的な悲しみや苦しみといった感情は肉体を取り戻してからはじめて感覚的に味わうのですが、その時はすべてのソウルメイトがまるで、霊体の膜が引き裂かれるような状態になり、まるで刻印のように霊体の膜のいくつかに傷がつくのでした。
 ドイツ人であったソウルメイトは意を決したように、ユダヤ人の体験をしたソウルメイトの近くにさらに寄り、我々よりも何倍の苦痛の刻印を自分の霊体の膜につけ、苦しみを引き受けるのでした。
 その間、高貴な霊であるガイドは、一切、口出しせず、我々の行動を見守っていてくれたのでしたが、ドイツ人であったソウルメイトの勇敢な行為により、中間世のソウルメイトたちが充分に一致したことを見届けて、中間世の部屋から出ていくのでした。
 そのドイツ人であったソウルメイトは、次の人生における計画書を練り直して、自分が最初に計画したよりもさらに辛い刻印、すなわち多くの病気と苦難を受け入れて、償いを代わりにしようとするのでした。
 すべての計画が執り行われると、最初に中間世に戻ったソウルメイトから順次、ソウルメイトの部屋から出ていき、最初に辛い刻印を身につけた元ドイツ人がアフリカの女性として旅立ち、アルゼンチン男性であったソウルメイトはインドへの道を選び、私は1950年9月5日、日本に生まれるために旅立つのでした。
 私にとってはドイツ人であったソウルメイトの愛と勇気のある行動に心から感謝し、常に心の奥底に気がかりとなっていたのでしたが、昨年、偶然にもその時のソウルメイトがアフリカ人の女性として生まれ、内戦の中で両親が殺されさらに自分は襲ってきたゲリラの兵士に暴行され、その後、生まれた子供はやはり別のゲリラに地面に叩きつけられて殺されたことを知るのでした。
 その女性はもう少しで中間世に戻ってきますが、私としては再び出会ったなら、そのソウルメイトに対して、心からの感謝と勇気を讃えたいと思っております。
 実際に私の体験に基づく中間世における計画書の作成やその方法についてお話しましたが、皆さん一人一人にも同じような形で中間世において人生の計画書が作られているのであり、私達一人一人の人生における使命は中間世で作られた計画書に基づいて行われるということであります。
 次回はそれらが実際にどのように実行されるかについてお伝えします。

第18回 人生の計画はいつ、どのように行われるのか1

 1900年4月。私は前世でインドに住んでおり、若い時から修行僧としての人生を送っていました。シルディー村から約40キロほど離れた断崖絶壁の岩山で、指導僧のもとで、数名の修行僧とともにひたすら瞑想と修行者としての道を極めるために、来る日も来る日も訓練に明け暮れていました。
 修行の場は、断崖絶壁の岩山の切り立った崖の上や、人がようやく一人座れるような岩棚の上で、瞑想をはじめとする修行を行なっているのでした。
 その日は風が強く、雲行きも怪しくなって、雨が降りそうな気配でしたが、私はいつものとおり、仲間の修行僧とともに指導僧の前でマントラを唱え、修行者としての心構えを指導僧に伝え、岩棚で瞑想に入ったのでした。しかし、瞑想をはじめて一時間も経たないうちに突然、突風が吹き荒れて、私はあっという間に岩棚から吹き飛ばされ、約50メートル下の岸壁に打ちつけられてしまうのでした。
 両脚は複雑骨折し、手や体全体を強く打ちつけて、私は意識はあったものの、あまりの激痛に苦しみ、悶えながら、仲間の助けを受けて修業僧の寝泊まりする場所まで運ばれたものの、口から血を流し、息も絶え絶えとなって、ついに命を失ってしまうのでした。
 その瞬間はまるで、眠りにつくと同じようにまったく記憶になく、深い闇の中をさまよっているような状態でした。
すると突然、意識が戻り、体の痛みもなく、一瞬、夢の中の出来事であったのかと思うほどでしたが、あれほどまでに憧れ、夢にまで見た空中浮揚のように、自分自身が空中に浮かんで岩山を上から眺めていると、本当に自分は死んだのであり、常日頃から亡くなった者は魂となり、再び、輪廻転生の旅に出るということを思い出し、若干30歳で亡くなってしまった私としては、修行半ばで人生を終えてしまったことを寂しく思い、もっと注意していればよかったと後悔するのでした。
 そして自分の遺体はどこにあるのかと思い、修行僧の住む部屋の中に意識を向けると、すでに私は死んでいるため、修行僧の布に包まれて、部屋の片隅に置かれているのを見るのでした。
しばらくの間私はこれまでの人生を思い返すような思いで、自分の遺体を眺めながら、しばらくそこにとどまっているのでした。
 私と同じ修行僧の仲間は、霊体の私にまったく気づかず私の前を通り過ぎていくのでしたが、私の指導僧は私をはっきりと認識して、私を見つめるのでした。
 私は指導僧に、自分は死んだのかと確認すると、指導僧は深くうなずき、私が死んだことが間違いないことと、次の来世に向かって準備をするようにと教えてくれたのでした。
 亡くなったら人はどこに行くのか、そこで何をするのか、生前、私は指導僧からしっかりと教えられていたため、これまでの様々な教えを受け、お世話になったことを心から感謝し、指導僧に別れを告げたのでした。
 正直なところ、まだしばらくはそこにとどまっていたとう気持ちはあったのでしたが、私としては以前から教えられていた、人が亡くなったその後や人生の計画、人生の立て直し、さらにはどのように次の人生を生きるかといった相談をシェアリングソウルメイトとするために、中間世へ早く行きたいという思いもあり、私は指導僧に教えられたとおり、天上に向かって光の裂け目を目指して上昇していくのでした。
 それはまるで飛行機が地上から飛び立ち、空に向かって上昇していくような感覚であり、ただひとつ違うのは、かなりはやいスピードで上昇しているにも関わらず、空気の抵抗や風の力を受けることはまったくなく、まるで真空状態の中を進むような気持ちであったことを記憶しています。
 光の裂け目、すなわち、忘却の幕の間を通りぬけると、さらに今までと違った空間が目の前に広がり、それはちょうど天空に星が散らばっているかのように、無数の光の部屋(ハウス)が見えてきたのでした。最初はまったく記憶がなかったものの、しばらくすると、光の部屋に見覚えがあり、私はまるで自分の家に帰るかのような気持ちで、自分の中間世の部屋に戻っていくのでした。
 次第に中間世におけるソウルメイトとの関わりや中間世でインドにおける人生を計画したこと、そして中間世に戻ったなら、シェアリングソウルメイトと体験を分かち合うおうと話し合ったことを思い出し、私は久しぶりに故郷に戻ってきたような気持ちで中間世の光の部屋の中に戻っていくのでした。
 実際、次元の違う(4.5次元)中間世の部屋は、3次元における広さとはまったく意味が違い、意識の世界では、物理的な広さなどがないため、意識によっては小さな部屋にも広大な空間にもなるのでした。そして中間世で私は愛するシェアリングソウルメイトとの出会いを待つのでした。
 やがてはるか向こうから二人の存在(シェアリングソウルメイト)が現われてきて、私は懐かしい友と再会したような気持ちでその二人と意識をほとんど完全と思えるような形で交ぜ合わせるのでした。(霊体においては、肉体をもっている時のように握手をし、ハグするような行動はできません)
 霊体には性別はありませんが、前世における性別が残っているため、その時の二人のシェアリングソウルメイトは前世のドイツの男性として、もう一人はアルゼンチンの男性としての人生を終えて、中間世に戻ってきたのでした。
 中間世にいる私を含めたソウルメイトたちは、全体的な前世における様々な体験を概略から互いに伝えあっていきます。
 たとえば、ドイツの男性は優秀な内科医であり、多くの患者を救い、感謝され、尊敬もされたのでしたが、実際外科的な処置が充分ではないということから、一部の者から批判され、自分が内科医としての能力の限界を感じ、より未来世においては、直接的な助けを与えるための人生を歩みたいと考えているのでした。
 それに反して、アルゼンチンの男性は、自由奔放なガウチョとして人生を送り、自由気ままな生活を楽しんだのでしたが、最後の時間は病気に苦しめられ、辛い闘病生活を送りながら亡くなって、中間世に戻って来たのでした。
 私はインドにおける人生の概略を話しながら、最後の崖からの落下事故にいたるまでの人生を話したのでしたが、ともに充分すぎるほどの感情や共鳴、同情はもっておりますが、それを表情に表したり、態度に表したりすることはなく、ただ淡々とした状態で、互いの体験におけるシェアリングを進めていくのであります。
 その後、一人、二人と地球から中間世に戻ってくるソウルメイトがいると、私もその者を迎えるために戻ってきたばかりのソウルメイトに会うのでした。
 私のソウルメイトは私を含め、7人おり、それぞれがそれぞれの人生で様々な体験をし、戻ってきて互いの体験の交換をすることが最初の重要な作業となります。それと同時に、私たちは一人一人、中間世から現世に戻るまでに、作り上げた計画書をひとつ、ひとつ確認し、見直しながらはたしてどの程度自分は計画に基づいて行動し、実行したかを確認していくのであります。 
 次回は、具体的のどのように計画書の見直しがされるのか、また計画書を作成するのかお伝えしたいと思います。

第17回 自らが自分の人生を計画し、実行する

 暑い、暑い夏が過ぎてゆきました。私は今年の夏は丹沢山系の縦走をしようと考え、2泊3日でひたすら山の中を歩き続けました。
 山頂に登ったときの達成感や爽快感は、何とも言えません。一度この感覚を味わった者は、病みつきになりますが、日頃、なかなか時間がとれない私としては、夏休みを利用して山小屋に泊まりながら縦走しようと計画しました。
 しかし、いざ、登山をはじめてみると、石ころだらけの岩山を登ってゆくのは難儀なもので、少し登るだけで息切れがしてきて、みっともないくらい汗をかきかき、休み休み歩き続けたのでした。
 いくつかの山を登り降りしながら目指す山に向かっていくのでしたが、目指す山は遙か彼方にあり、絶望的な気持ちにさえなってしまうのでした。
 やがて高度が高くなってくると。辺り一帯、靄がかかり、周りがまったく見えなくなり、幻想的な様相を呈するようになってゆくのでした。
 たぶん、登山のことにあまり興味の無い方にとっては、何でそんな苦しい思いをしてまで山に登らなければならないのかと思うのではないかと思いますが、登山をする者にとしては、途中は苦しいかもしれないけれど、達成したときの喜びのことを考えると、一時的な苦しさは乗り越えることができるのではないかと思います。
 日が暮れる前にようやく山頂の山小屋に着いた私は、雄大な山の嶺々を眺めながら、達成した喜びをかみしめたのでした。
 質素な夕食を終え、山頂に立って夜空を眺めると、下界とは全く違う空間が広がり、「来てよかった」と思い、満足することができました。
 同じ場所であっても、高度が違うと環境はまったく異なり、下界では猛暑が続いている中、涼風が流れている山頂で、私はしばし、満足感に浸っていたのでした。

 前回の話から引き続いて今回は私達の人生の計画書はどのように作られるかということについてお伝えしたいとお思いますが、先ほどの山の話しが、この人生における計画にも通じることがあると思い、はじめに紹介しました。
 自分自身の人生を振り返ってみても、ちょうど山歩きのように様々な紆余曲折がありました。
 ごく平凡な家庭に生まれ、10代半ばまでは何事もなく過ごしていた私ですが、その後は、これでもかというくらい、大きな出来事に巻き込まれることも多く、それはまるで最も辛い山登りをしているようなで状態であったと思います。
 しかし、気づいてみると自分はそれまでとは全く違う世界にいて、精神世界にどっぷりとつかっている自分に気が付くのでした。
 その後、私はまるで何かに憑かれたかのように、この世界を歩み続けたのでしたが、そのたびに、親しい者が離れていったり、批判されたりして苦しい思いをしたものでした。
 私の思いや願いに共鳴してくれる者は、私の話やヒーリングを喜んでくれたのですが、私の行動を理解できぬ者は、私がおかしくなったとまで言って、私を攻撃するのでした。
 喜び、感謝してくれる者と無視し、批判する者の間にはさまれて、私は苦しみぬき、孤独感にさいなまれることもありました。
 それぞれ人には様々な人生があって、順風満帆の人もいれば、生まれた時から苦労続きの人もいます。また、病気に苦しむ人、貧しさや人間関係で苦労の絶えない人もいます。 
 「このことは誰が決めたのか」。私は以前から疑問に思い、この不公平感をどうしたら解放できるのかを思い続けてきました。
 そして、私の使命である『過去を解き明かし、未来を語る』ことを行うようになって、次第に自分の身に起こることは、神が罰するためのものではなく、私達自身が自らの発展成長のために計画、実行していることに気づいたのでした。
『自らが自分の人生を計画し、実行する』
 これが、多くの人々の人生を見てきた私の結論です。
 その計画は、いつどこで、どのように作られているのか、いよいよ次回、詳しくお伝えしたいと思います。

第16回誰もが皆、神の化身4

 インドに訪れるようになって今年で24回目になりますが、その中で私はたくさんの不思議な経験をしました。
 まだ、現在のような形でエネルギーの世界を十分知らない時、私は一人のインドの占星術師(ジョーティシャー)を紹介され、その方に自分の運勢を見てもらったことがあります。
 占ってもらうためには、生年月日と生まれた場所、そして生まれた時刻が必要なのですが、生まれた時刻を知らないため、日本にいる母親にすぐに電話を掛けました。
 しかし、母親が言うには、病院ではなくお産婆さんのところで出産したのでわからないというのでした。
 せっかく念願のホロスコープ(人生の記録)を見ることができると思ったにもかかわらず、それではできないのか、とがっかりしたのですが、占星術師は、私のこれまでの人生の中で、最も重大な出来事の日時がわかれば、私の出生時刻がわかるというので、私の人生の中で一番辛い出来事があった日時を伝えました。
 占星術師は、その出来事から私の出生時刻を割り出し、私のホロスコープを作ってくれました。
 当時、私はまだ気功をはじめたばかりで、全く現在のような他人の過去世や未来世を含めたリーディングを行っておりませんでしたので、ホロスコープを読み聞かせられるたびに、驚きと感動の連続であり、「すごい」の一言でした。
 その占星術師は私が55歳から56歳の時にスピリチュアルな本を書くこと、はじめの娘を若くして亡くしたこと、二度結婚をすることなどをリーディングし、私としては過去の事故で最初の妻と娘を亡くしたことは言っておりませんでしたので、ズバリそのことを言われた時は愕然としました。
 その後、その占星術師とは色々な事があり、つきあいはなくなったのですが、今年、まさしく56歳の時に、自然の流れから私は「過去世リーディング」というスピリチュアルな本を出版したことは間違いのないことですし、未来に対する予言は確かなものであったと言わざるをえません。
 その後、私は何かを引き寄せられるように精神世界とエネルギーの世界に入っていくのでした。
 私は過去世でインドの修行僧をしていたことは、このブログの中でお話しましたが、その修行僧の時に、アガスティア葉で有名な、予言者アガスティアの流れを汲む修行僧の弟子でした。私はインドで修行をしておりましたので、そのことが現在の私の活動の基盤となっていることは不思議でありますが、私にとってはもっともなことであります。
 その後、私もホロスコープや占星術の勉強をするようになると、はじめて受けた時の説明が当然のように読みとれ、わかるようになり、結局、私もホロスコープの通りの人生の流れを歩いていると思うに至ったのも、事実であります。(ある意味では運命論)
 しかし、私は『過去世リーディング』でも書きましたが、自分の人生は自分の意志で決めているということがわかるようになると、実は、ホロスコープは過去に基づいて自分が決めた計画図であるということがわかってきたのです。
 つまり、中間世で決めた計画を星座や星の動きで表したのがホロスコープであるとわかると、それならば、私達が自分の意志で人生を決めている限り、変更することも、キャンセルすることも可能であるのです。
 確かに星の動きは、大きな力で私達に大きな影響を与えておりますが、私達の人生の流れを本当に現在の状況の中で、深く考え、実行するならば、私達は現在の状況に中にあっても、本当に自分らしい生き方をすることは何ら難しいことでもなく、できるものと思います。
 占星術の鑑定で、あまりにも人生が悲観的であったり、高価な石を買わされたり、お金を要求されたりという事があると聞き、クレームも多いのですが、私としては、人生の流れを正確に読みとるという意味では、占星術(ジョーティッシュ)は、すばらしい方法であると考えております。
 私のジョーティッシュに対する考え方は、人間、一人ひとりが生まれた時に東の空に上昇してくる星座(決して下降ではない)から人生がはじまり、その人が生まれることは素晴らしいことであり、祝福されているということなのです。
 全ての人が皆、神の化身という意味においては皆が祝福された存在であり、自らが今世の人生を毅然として歩むためにも計画書に基づいて歩んでいるということなのです。
 ただし、計画書の作成者が私達なら、私達は自らが計画の変更もできると言うことも事実なのであります。
 あなたの人生はあなたのものであり、あなたが自分の人生の主役となって、よりよい人生を歩めるよう、心から願い祈っております。
 それが大いなる宇宙の存在の意志でもあるのですから。
 次回は、人生の計画書はどこで作り、どのように作られるのかをお伝えしたいと思います。

第15回誰もが皆、神の化身3

 私達は何者なのか?どこへ行くのか?どこから来たのか?
 この疑問は人類全て共通の疑問であり、その問いに答えることができるなら、あるいは知ることができるのなら、どれほど幸せかと思います。
 毎年、インドの聖者サイババのもとへ訪れ、今年で20数回を数えるまでになりましたが、私の拙書「過去世リーディング」でも書きましたが、私は1つ1つサイババからメッセージを受け取り続けて学びながら、とうとう1998年、インドに向かう機上にて、私の今世の使命を受け取ることができました。
 『過去を解き明かし、未来を語り、癒す者』
 その時に与えられたメッセージは、その後の私にとって、これ以上のものはなく、現在もひたすらこの使命に則って人生を生きております。

1.私達はどこから来たのか?
   私ははるか昔、一億年の時を越えて、他の星から地球にやってきたことを、その後知ったのですが、過去世を見るよう
   になると、さらに様々なことがわかり、ほとんどの方が他の星から来た者であることがわかったのです。
   すなわち、私達のほとんどが他の星から移住してきたのであり、その目的は、地球において、他の星の者と同居しな
   がら、ありとあらゆる体験をするためであるということがわかったのです。
   私の来た星はユリアと言い、冥王星の近くにあると教えられましたが、実際、科学的にはまだ確認されておりません
   が、いずれ解明されることは間違いないと考えています。
   それと同じように多くの方が仲間と共に他の星から地球に渡ってきて、様々な体験をしているのでありますが、生命の存
  在する星は無数にあり、それぞれのステージによって地球をはじめとして、いろいろな星で体験をしているのであります。

2.私達はどこに行くのか?
   私は2千人の仲間と共に遙か昔から地球に移り住み、時期が至ると、ユリアに戻るようになっております    が、多くの
   方も同じような経過を辿っているものと思われます。 
   あの有名なかぐや姫伝説は、あながち嘘に思えないのは、やはり同じ様な体験をしている方がいると思うからなのです。
   それでは、一端、元の星に戻ったらどうなるかといえば、再び、戻った星から他の星に移り、体験を積み重 ねて、永遠
   に近いほどの時空の中で、成長、発展してゆくのであります。
   『過去世リーディング』の中でスパイラル構造の図がありますが、1つの渦が重なり合って永遠に続くと考え ていただけ
   ればわかりやすいかと思います。

3.私達は何者何か?
  昔、私は神はどこかの星にいて、私達を見守っていてくださるのだと思っていたのですが、その後、エネルギーの世界
  を学んでいく中で、神は1つ、もしくは一人というのではなく、あらゆるものが極まり、高まって、そのエネルギー状態が完全
  な集合体になって、最も神聖な魂となった空間が神、すなわち最も清き者たちが住む場所(プラシャンティニラヤム)となる
  のであります。
  私達はその状態になるための準備段階の魂であり、体験をとおして完全体となるための修行をしているものであると
  考えたらよいと思います。


  これまでの様々な体験と多くの方々の過去世リーディングをすることにより、上記のようなことがわかってきて、人類の命題とも言える、この問いに対する答えはある程度わかってきたのですが、それでは実際、そのことをどのように証明するかは、あまりにも壮大なテーマであるため、今後もなかなか証明されるまでにはいかないと思います。
  しかし、私達が上記のことを知っているのと、知らないでいるのとでは大きな違いが出てきてしまいます。
  ですから、このことを知った上で、人生を歩むことが大切であると思うのです。そして、さらにそのためにも、前回お伝えした、自らの使命を知ることが大切であると言えるのです。

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