−生きるうえで大切なことー 365日のメッセージ 私たちにとって最も重要な「生きる意味」や「自分自身の今世の使命」。その答えとなる神聖で素晴らしいメッセージがいつも私のもとに届いています。 メッセンジャーとして、リアルタイムに皆様にお伝えしています。

第44回 生きる気力が持てない人ややる気がでないという人へのメッセージ

生きることは大変なことです。
決して簡単なことではありません。
ましてや人生を精一杯生きることは困難なことも多くあるのです。
生きる気力が無いというのは、
気力が無いのではなく、使い切ってしまったという状態なのです。
車に燃料が必要なように、あなたにも生きる燃料が必要なのです。
サイのスタンドはすべての者に無料で生きる燃料を与えています。
あなたはサイのスタンドに来て、愛のエネルギーを受け取りなさい。

アルケミストにも多くの気力を失った方が訪れます。
さまざまな手法を用いてその方が力を取り戻し、気力を回復するようにと毎日、行っておりますが、なかなか十分な成果が上げられないこともあります。
常日頃から私はそのような気力を失った人にどうしたらよいかと悩み、ババに訪ねた結果、いただいたのがこのメッセージです。
それ以来私はそのような方に対してヒーリングをしながら、ババの愛のエネルギーをその方に送っています。
このことを行ってから今までとはまったく違って、目輝かせ、楽になったと言って、喜んでいる姿を見るたびに、ババの偉大な力を感じて、日々、感謝している次第です。


<質問}

「オーラから恨みを持っていると指摘され、ずっと気になって体調も良くありませんでした。しかし、恨みを持ち始めたであろう時期を思いだし認めるようにしたら、体が軽くなりました。認めることで痛みが和らぐということに関連性はありますか?いづれ、ヒーリングを受けたいとは考えているんですが、それまでの心の持ちようを教えていただければと思います。」
というご質問をいただきましたので、お答えします


 自らを愛し、許し、認めるということは人生を幸せに、なおかつ成功するためにもっとも大切なことであります。
 あなた自身の中にある恨みや妬みはまずあなたが自分にそれがあると認めることで許され、そしてまず自らを愛することができるようになるのです。
 認めることはもっともその中で大切なことであり、あなたが認めたと言うことはとてもすばらしいことであると思います。
 人は誰でも恨みや妬みをもっており、それを解決できずに苦しんでいるのです。
 あなたが苦しみから解放されて、幸せになりますよう心から願っております。

第43回 能力をなかなか生かせないと思っている人へのメッセージ

能力は与えられるものではなく開発するものです。
どんなに立派な機械でも使わなければ何の役にも立ちません。
自分の能力を使ってはじめて自分の能力がわかります。
使うことです
試すことです
そしてそれをどのように効果的に行うかを考えることです。
そうすればあなたは自分の能力や才能がどれだけあるかを知ることができるようになります。

 前回、才能がないと思っている方へのメッセージはすでにお伝えしましたが、今回は、さらに能力を開発するための方法をババ様はお伝えしたのだと考えます。
 とてもシンプルで当り前のことかもしれませんが、能力や才能はやはり使ってこそ発揮できるものであるということをババ様はおっしゃっています。
 能力を使いきってこそ、はじめて自分の真の能力を発揮できるというこの教えは、エネルギーの世界にも当てはまり、わたしに伝えたものであると考えます。

第42回 「心から人を愛することができません。どうしたらよいのでしょうか」という問いに対して

宇宙は愛の力によって創られました。
愛の力によって宇宙ができたのです。
愛することができないというのは、
根本的なことがわかっていないということにつきます。
愛はもっとも最高のバランスの取れた状態であり、
さらにそれが成長し、拡大していく宇宙そのものなのです。
愛することとは我々が住んでいる地球そのものを知ることであり、
宇宙の壮大な原理原則を知るための力なのです。
神が創った生命を愛することこそ、自らが成長する糧なのです

 ババの言う愛とは宇宙そのものであり、愛によってこの宇宙は成り立っていると常々おっしゃっています。
愛することができないというのは、この宇宙の原理原則を知らないからであり、これだけ巨大な惑星が高速で回転し、公転運動をしながらも決してぶつからないということこそ、互いの力とエネルギーを認め合っているからなのです。
 愛する事とは、相手の力と自分の力を知り、なおかつお互いがもっともよい関係を作るための根本的な原則でありますから、私たちは大いなる宇宙の惑星同士のすばらしいバランスを見ながら、自分もこの宇宙の一員として、他を認め、他を愛し、ともに活かし合う人生を送ることが大切ではないかと考えます。
 人を愛することと宇宙のバランスは一見、つながらないように感じますが、しかし我々の人体は宇宙そのものであり、多くの細胞からひとつの体をなしていることからみると、実際、われわれ自身も絶妙なバランスによって生きていることがわかると思います。
 どんなにお金を払っても、私たちの体を売ることは誰もできないと同じように、われわれの心と体は宇宙そのものであり、互いにそのような神聖なもの同士がこの地球に生まれ生きているということを知って、互いに認め合い、愛し合うことこそ我々が人生を生きる大きな目的ではないかと考えます。


<質問>

「私は、どうしても自分の選択に自信が持てず、いつも迷ってしまいます。
そして何かを選んでももっと他に何かあったのではないかとか、自分にはもっとやれたのではないかと「もっと別に・・・」とよく考えています。目標がはっきりしていればそれに添った選択ができますが、目標がはっきりしない時に「選ぶ」という状況はいつも曖昧で、それを選ばない理由と選んだ理由を探して自分に言い聞かせますが、やはり自信がありません。
「選択」とは何ですか?
高江洲先生に以前教えて頂いた「自分が好きかどうか」という判断で全て選んでいいんでしょうか?高貴な者たちに尋ねようと思うのですが、すっかり自信がない時はそれすら疑ってしまいます。どうか、教えてください。」

というご質問をいただきましたので、お答えいたします。

 
 ババ様は、「神は人類に大きなプレゼントを2つ与えた」とおっしゃいました。
 1つは、「愛」であり、もう1つは、「自由意思」です。
 選択できるという自由意思は神の大きな祝福であり、あなたはその権利を持っているということに対して、感謝する必要があります。
 勇気を持って自分を信じて、選択することは神のもっとも喜ぶことであります。

第41回 「憎しみと恨みがなかなかとれません。どうしたら取れるでしょうか」という問いに対して

憎しみと恨みはまるで何気なく捨てた煙草のようなものです。
最初は小さな煙草の火であったものが、周りの燃える物に移り、
燃え上がり、最後には辺り一帯すべてを燃やしつくしてしまうのです。
憎しみや恨みが湧きあがってきたら、すぐに消すことです
憎しみに油を注ぐような愚かなことはせずに、
すぐに消すことがもっとも労力を少なくすることであり、
効果的な方法なのです。

私たちは様々な感情をもっておりますが、憎しみと恨みはもっともその人の心にも体にも悪い影響を与えるものであります。
前回お話した「許す」ということよりも、憎しみや恨みの方が手放しにくいのは、その人のオーラの中にまるで猛獣が噛みついたようにネガティブなエネルギーが入り込んでいるからです。
許しはある程度時間が経ってからでも前回の方法を使えば、解決しやすいのですが、憎しみと恨みは大きくなってしまうと、なかなか自分では手放すことが難しくなってしまいます。
小さな憎しみや恨みはあなたが早く気付いて処置をすれば、あまり苦労せずに解決できますが、あまりにも時間が経ってしまうと、なかなか取り去ることができなくなりますので、正しい方法で除去してくれるヒーラーに依頼することが大切なことです。
すなわち、なるべく早く小さなうちに憎しみと恨みをとることが効果的であるというババのメッセージがお分かりになると思います。

第40回 「人を許せない気持ちをなくすためにはどうしたらよいか」という問いに対して

許すということは無くすことではなく、認めることです。
相手に対して嫌な思いがあってもかまいません。
そのような気持ちが自分の中にあることを認め、
その上で自分がそれを手放せないために苦しいのだと理解することです。
許すこととは手放すことであり
無くすことではないということを知るべきです。

一見、抽象的なメッセージのようにみえますが、実際、私はエネルギーを見て、コントロールするものとして言うならば、ババのメッセージはまさしくそのとおりであると感じます。
 すなわち、何か許せないことがあると、その人の頭の上や胸の中心に「許せないというエネルギー」が残っていて、その残っているエネルギーによって我々は苦しんでいることが多いのです。
 そのエネルギーを無くそうとしても、なかなかエネルギーを見える者でなければ取り去ることは難しく、苦しむことになってしまうのです。
 もしその時に、「もうそのようなものはいらない。自分には必要ない」と考えることができると、オーラの中に残っているエネルギーはまるで風船のようにそこから離れていくのです。
 許すと言うことは何かに執着することを緩め、手放すことであると言うのはまさしくババ様がヒーリング手法を使った、もっとも効果的なアドバイスであるということがわかるのです。
 どうしても許せない人や許せないことがあったときに、確かにそれは自分の中にあるなと感じて認めた上で、もうそれを残す必要はない、手放した方がよいと感じて、まるでその許せないことが風船のように自分の体の中や周りから離れていくことをイメージすることができるようになると、許すということが効果的にできるようになるのです。

<ご質問をいただきましたので、お答えいたします>

 -質問ー
「私は無神論者なのですが、サイババさまは全く面識が無い(おそらく過去世でも関わりは無いと思います。苦笑)人間の願いであっても真剣に願えば聞いてくださるのでしょうか?」

 サイババにとってその人がサイババを信じるかどうかはあまり大切なことではありません。
 その人が幸せになりたいために真剣に求めることは、ババにとってはどの国の人であろうと、どのような宗教をおこなっていようと、一切関係のないことなのです。
 あなたが真剣に願えば願うほど、あなたを導く高貴な霊たちや神々があなたを助け、導き、あなたの願いを叶えようとするのです。
 サイババはそのような高貴な霊や神々の中で彼らをまとめる重要な役割を担っている方なのですから、どうぞ、心配せず遠慮せず、自分の願いを祈り続けてください。あなたの祈りが叶えられます様に心から私も祈っております。

第39回 「天国と地獄は存在するのでしょうか」という問いに対して

宇宙のすべてに神の意志が伝わっているように、
私達のこの地球の空間にも神の愛と祝福に満たされています。
それを体験し、知ることのできる者が天国にいる者であり、
それを知ることができず、信ずることができない者は、
夢や希望がないため、地獄にいるようなものです。
あなたの心をすべて神の愛で満たして、天国に住む者となりなさい。

ババ様この質問に対して『この宇宙はすべて悪に支配されているのではなく、神によって守られている』ことを強くおっしゃいました。
結論から言えばこの地球や宇宙に確かに悪なる者は存在しますが、地獄はないとはっきりと言いきっています。
ここでもババ様は常日頃おっしゃっているように、すべてが私達の心のうちの状態がすべてを決めるのであり、結局私達がどのように人生を受けるかによって、すべてが決まってくるのだとおっしゃっているのです。
私は長年の間ババ様を信じ、ババ様の教えを実践しようとしてきた者として、間違いなく言えることは、すべてのことが私の外側にあるのではなく、私の内側にこそ、すべてがあるとわかったことです。
幸せも成功もすべてあなたの思いによって決まるということを理解されれば、私としてはこれ以上嬉しいことはありません。

第38回 「どうしたら成功できるのでしょうか」という問いに対して

サクセスのサクは袋のことを言い、
セスはエッセンスを意味しています。
サクセスとはすなわち心の中(袋)にエッセンス(本質のもの)をもっていることを言います。
常に心の中に何が大切で何が重要かを知っている者は、
成功者としての道を歩めるようになるのです。
心の中に常に正しいことを思い続けなさい。
あなたの心の中を正しい光でいっぱいに満たしなさい。
真の成功者とはそのような人のことを言います。


多くの人が世の中で成功することを望んでいます。
しかしあまりにも成功者のイメージがあいまいなため、何が成功なのか、成功した者とはどんな人なのかがまったくわからず、経済力か権力か、というマーヤ(幻)の道を歩んでいるのが現実の私たちであると感じます。
ババは常に私たちに神聖な自分に気づき、神聖な自分を取り戻すように教えてくれます。
以前、私はババからインタビューを受けた時にも、

 
 私とお前たちの違いはただ一つである。
 それは何かと言えば、私は自分が神の化身であることを知っており、
 お前たちはそのことを知らないし、信じてもいないのだ。
 それが私とお前たちとの唯一の違いだ。

 とおっしゃったことを今でもはっきりと思い出します。
 サイババは一貫して伝えていることは、真に豊かな者は自らの神聖さに気付いている者であり、それを充分活用できる者であるとおっしゃっています。
 地球環境が大きく変わろうとしている現在。私達の地球に生まれた真の目的、さらには自分の本当の価値を知ることこそが本当の意味で地球を守り、皆の意識を高めるために最も必要なことであると思います。

第37回「自分に自信が持てません。どうしたらよいでしょうか」という問いに対して

ある教師の話をします。
その教師は真面目な性格の男性でしたが、自分には教師としての能力がないと考え、自信を失っていました。
毎日授業が苦痛でたまらず、ついに彼は学校を辞めようと考え、辞職することにしたのです。
家に帰り、日頃から信じているガネーシャ神の前で、教師として成功することが出来なかったと言って、涙ながらに教師を辞めることをガネーシャ神に告げたのでした
すると夜、ガネーシャ神は、幼い子供の姿をとって彼の前に姿を現し、「僕は何も取り柄がなく、自信がないので将来、何をしたらよいかわからないのです」と言って、寝ている彼に助けを求めてきました。
教師である彼はその子を抱きしめ、「もし、君が教師になれば君と同じように自信を持てず、何をしたらよいかわからない子供に、かつては自分も同じような者であったと言って慰め、励ましてその子に自信をつけることができるようになれる」と、伝えたのです。
するとそのとたん、小さな男の子はガネーシャ神になってその教師に向かって、「今、あなたの言ったことを学校に戻ってしなさい」と伝えたのでした。
 「そうすればあなたの言うとおり、多くの子供があなたに助けられ、導かれるようになる」と伝えたのでした。
夢から覚めたその教師はまるでそのことは夢であったのか、それとも実際にガネーシャ神が現れたのか、わからずじまいでしたが。その後その教師は学校を辞めることを取り消し、子供たちを助け、導き立派な教師として働くようになったのです。
自分に自信を持てない者は、このようにすべきです。
すなわち、この教師と同じように、自信を持てない者や悩み苦しむ者を熱心に、誠実に助けることです。そのようにすればあなたは、多くの者から感謝され、尊敬されるようになって、自信を取り戻すことができるようになります。


 多くの人は様々な出来事や人に傷つけられて自信を失ってしまうことがよくあります。私もこれまでに何度か自信を無くして自分を責めたり、嘆き悲しんだことがありました。
 涙ながらに私はババ様に「私の弱さを許して欲しい」と願い、祈りました。
 それは、ちょうど私がババ様のところに訪問する数ケ月前でした。このように自分に自信がもてない状態では、ババ様は喜んでもくれないし、むしろ情けないと言って、私を拒否するかもしれないと考え、「私は今回は行きたいのですが、行けません」と言って、「必ず自信を取り戻し、あなたにふさわしい息子になってからお伺いするようにします」と祈りの中でババ様に伝えたのでした。
 しかしババ様は、私の祈りに対してこのように答えられました。

息子が父親に会いに行く時に正装して土産をもって帰るのであろうか。
父親は正装して立派になって帰ってくる息子を見ることも当然嬉しいことではあるが、
それよりはむしろ息子がボロボロの服を着て最も苦しいときこそ父親は息子の帰りを待ち望むものである。
心配しないで私のもとに来なさい。そうしたらお前に立派な服を着せ、
たくさんの土産を持たせ、父親のようにお前を抱きしめ、お前に力を与え、
たくさんの愛と自信をもたせて帰す。

 神とはそのようなものだというババ様の言葉を聞いて、私は涙が止まりませんでした。私はその後、無事にインドに行き、ババ様にお会いしてたくさんの祝福を受けたことは言うまでもありません。
 自分に自信のもてない方はこの世の中にたくさんいます。
 そのような人は自分でも助けられそうな人を見つけ、その人を助けることです。そうすればあなたは認められ、感謝されて、自信を取り戻すことができるようになります。

第36回 自分には才能がないと思っている人に対して

才能の溢れているという人は、まるで大きなダムに水が満たされているようなものです。
才能のないと思う者は、ダムはあっても水が入っていないため、
他人を潤し、祝福することのできない人にたとえられます。
ダムは同じようにありながら、多くの水があるかないかで、その差ができてしまうのです。才能がないと思っている人に私は伝えます。
「私に多くの水があふれるように満たされて、その水を多くの人に分け与えられるようにしてください」と神に祈りなさい。
あなたがその様に祈り続けるならば、神はあなたに多くの恵みと祝福を与え、
恵みの雨となってあなたのダムを愛の水でいっぱいにします。
そしてあなたが神の恵みにより多くの水を得たなら、
惜しむことなく、よどみなく、その水を放出して、人の役に立つようにしなさい。
そうすればあなたは、神の恵みと愛により、才能あふれる者となることができるのです。

 多くの人が「他人と比べて自分には才能がない」とか「少な」いと言って嘆いていますが、サイババの言う才能とは、他人のために行なう能力であり、それも愛の力であるといっています。
サイババが才能のない人はどのような人かという定義に対して、
  1.神を愛する気持ちのない人
  2.他人を愛する気持ちのない人
  3.自分を愛する気持ちのない人

 それがまさしく才能がない人であると言っています。
 サイババは、様々な表面的な能力や才能よりも、この三つの愛を大切にしなさいと言います。あなたが才能あふれる者になりたいと願うならば、まずは神を愛すること。そして他人を愛すること、自分を愛することをバランスよくできるなら、あなたは間違いなく才能あふれる人間になるとサイババはおっしゃっています。
 それをこのダムの話にたとえてメッセージとして送っていただいたのですが、サイババの言わんとしていることは、ダムがあるか、なしではなく、すべての者にそれだけのダム=容量があり、そのダムに水を溜めることは我々の責任であると言っています。
 すなわち神を愛し、隣人を愛し、自らを愛するならば、そのような者は必ず神の祝福により、才能あふれる者になると言っているのです。
 ダムがないのではなく、ダムに溜める水がない人を何と言うかと言えば、才能を存分に使っていない人だと言うのです。
 才能あふれる者になるために、私達はベストを尽くして、神を愛し、隣人を愛し、自らを愛する行動に出るべきだと考えます。

第35回 「どうして人生は楽しいことよりも苦しいことが多いのでしょうか」という問いに対して

どうして人生は楽しいことよりも苦しいことが多いのでしょうか
数々の聖者を生み出したインドにおいて悟りを目指すために多くの修行者が苦行を行なっています。
彼らは眉間にしわを寄せ、苦痛に喘ぎながら、必ず自分は他の者より秀でた者になると決心して、
毎日苦行に明け暮れるのです。
楽しいこととは何でしょうか、苦しいこととは何でしょうか。
もし修行者が悟りを得られたら、今までと同じ苦行をしていても苦しみをまったく感じることはなく、
幸せと喜びに満たされるようになるのです。
すなわち悟りとは様々な状況に左右されるものではなく、
いかなる状況も超越したことを言うのです。
楽しいか、苦しいか、それはすべてあなたの心から発する思いであり、あなたの反応なのです。
常に悪いものに反応するあなたがいれば、あなたは苦しみを感じることが多く、
常に良いものに反応すればするほど、あなたは楽しく幸せな者になるのです。
常に正しいものを見るようにしなさい、常に美しいものを味わって、あなたの身も心も清めるようにしなさい。
そうすれば、あなたは良いものに素早く反応する者になって、
人生を幸せなもの、楽しいものにすることができます。

 ご存じのように私達は気持の持ち方次第で幸せな気持ちになったり、悲しい気持ちになったりします。
 日頃からババは、心の訓練をするようにとおっしゃっておりますが、その中でも特に重要なことは、悪いものに心を奪われて悪い心になってしまうことを注意しています。
 不正なことを喜ぶことや人間の浅はかな欲望を満たそうとすればするほど、私達の心は汚れてしまい、ちょうど車のフロンド硝子に泥がこびりついて、前が見えなくなるように私達は前が見えなくなってしまいます。
 毎日の心の訓練とはワイパーを使ってフロントガラスを常にきれいにし、前を良く見えるようにする、すなわちそれは希望と幸せが見えてくる状態になるとババは教えています。
 心をコントロールできる者こそ神に近付く者であるという言葉は、私達ひとり、ひとりが人生を歩む上で大切なことであると考えます。

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