第54回 「この世の欲望を消すためにはどうしたらよいか」という問いに対して
あなた方は毎日、あれが欲しい、これが欲しいと言って、
欲しい物が手に入っては喜び、手に入らなければ悲しみ嘆くと言ったことを繰りかえしている。
欲望はマーヤ(幻)であり、まるで見えない雲をつかむようなものである。
まるで蜃気楼のように浮かび上がった欲望を、人はつかもうとして騒ぎたて、人生を無駄にしている。
よく覚えておきなさい。
大切なものは一つであり、世の中にそう多くはありません。
その大切なひとつものとは、あなたが価値ある存在であり、無限なる宇宙の中で、
神が最も愛し、価値ある者として認めていることを知ることなのです。
私達は現代社会において、便利な物や物珍しい物を毎日求め続け、豊かさとはそのような物を手に入れることであると思っておりますが、ババ様は常に「もっとも大切なものをなるべく早い時期に手に入れるように」と教えています。
そのため、ババ様の学校では、幼いときからこの世の人生において大切なことを教え、導き、彼らが神の化身としての自覚に目覚めるようにしています。
欲望を消すのではなく、それよりももっと大切なことに気づき、それを手に入れるための人生にすることが、我々にとって最も幸せな人生になるのではないかと考えます。
第53回「間違いのない人生を歩むためにはどうしたらよいか」という問いに対して
間違いのない人生ではなく、正しい人生を選びなさい。
あなたが正しい人生を歩みたいと考えたなら、
あなたの信ずる神にどうか正しい道を選択できるように力を与えて下さいと祈りなさい。
あなたがそのようにするならば、あなたの信ずる神はあなたに正しい道を示し続け、
あなたはまさしく正しい人生を歩むことができたと感じ、幸せな思いに満たされます。
そしてそれを見たあなたの信ずる神は、あなた以上に喜びと、幸せを感じるものなのです。
ババ様は私達に向かって愛する息子、娘よと呼びかけ、私達を我が子のように愛し、守ってくれます。
私は何度か自分の人生の選択の中で、迷って不安に陥り、「間違いのない人生を教えて下さい」と祈ったときに、先ほどのメッセージをいただいたのであります。
神とともに歩む者は、正しい道を選ぶことができ、幸せな人生を歩むことができる。これは私がババ様との体験の中で生まれた実感であります。
第52回 「サティア・サイババ様は神なのですか」という問いに対して
もしあなたが私に「ババは人間ですか」と聞けば
「YES」と答え、
「神ですか」と問えば
「YES」と答えます。
私の中にはNOという答えは無いのです。
ありとあらゆる普遍性を持ち、偏在する者はすべて“ある(YES)”のです。
宇宙に存在する神々は、皆“ある(存在)”者であり、
現実的に人類を教え、導き、守っているのです。
私はこの地球において人類を助け、導く神であり、あなた方の魂の父なのです。
ババ様は信者に向かって時々このように言います。
「どんなに私を探求し、知ろうとしても私を知ることは不可能である」と。
実際これまでにも多くの世界中の学者がババ様の奇跡や様々な現象について研究してきたのですが、「これがババ様である」といった答えを出した者はひとりもおりません。
十数年にわたってババ様のアシュラムを訪れた私としては、行くたびにババ様の神聖さと偉大さに心を打たれ、喜びに満たされるのでありますが、反面、どんなにババ様に近づきたいと願っても、なかなかはるか遠くの方のように感じ、時々さみしい思いをすることも実際にあります。
ババ様のこの答えは『あるもの=全ての中に存在するもの』という意味から解き明かせば、すべての宇宙のことを完全に知った時に、ババ様の本質を知ることができるのではないかという意味に私はとらえています。
すなわち、宇宙のすべてがババ様の中に『あり』、ババ様を知るということは宇宙のすべてを知ることと同じことだと思うのです。
果てしない旅のように感じるこの魂の進化の道は延々と続き、未来永劫にわたって我々が成し遂げなければならない世界であるとするならば常に前を行き、我々を導いてくれるババ様をひとつの目標として進むことが一番安全で、効果的な方法ではないかと考えています。
第51回「なぜこの世の中には善と悪が存在するのか」という問いに対して
善は光であり、悪は闇です。
しかしどちらか一方が無くなってしまうと
宇宙のバランスがとれなくなってしまい、崩壊します。
善と悪、光と闇は一対の車輪のようであり、
どちらも欠かすことのできないものなのです。
あなた達はその善と悪、光と闇をうまく運転することにより
神に近づく者になるのです。
この質問に対するババ様の答えは、一見、難解に感じますが、実際は理屈さえわかれば、非常にシンプルで明快な答えであると感じます。
すなわち宇宙はすべてプラス、マイナス、もしくは陰と陽という対極をなすものによって成り立っており、そのことにより宇宙はすべて回転運動により時がすすみ、バランスがとれていることがわかります。
善と悪も両極をなすものであり、善がなければ光の道に歩むことができず、悪がなければそれを乗り越えて達成するといった体験ができないため、どちらも我々が成長するためには必要なものであると考えます。
第50回「差別を無くすためにはどうしたらよいか」という問いに対して
ありとあらゆる差別が世の中に溢れかえっています。
国の違い、身分の違い、貧富の差、民族の差、などなど。
面白いことに差別を無くそうとする者が意見の違いを巡って互いに批判し合い、
争いになっているのです。
差別を無くす最も良い方法は表面的な違いを見るのではなく、
根本的な類似性を見ることです。
同じものとはなんでしょうか。
それは、いかなる者も根本的には神聖なアヴァーター(神の化身)ということです。
この神聖な類似性を私たちが注意深く見るならば、
私達は心の中から差別が消えてゆき、
神聖な者同士としての尊敬と感謝の念に包まれるようになるのです。
ババ様は、差別は体の中に巣くう病巣のようなもので、放っておけばその病巣は瞬く間に全身に広がってしまい、その者の命を奪ってしまうほどの悪なるものであると言っています。
ババ様は時々「私には差別が無い」という人に、そのような者こそ差別をしているのだと強く戒めることがあります。
すなわちババ様の言うことは、我々には差別意識がり、それをなくすために輪廻転生を繰り返しているというのであります。
差別意識をなくすことこそ、我々人類の目標であり、夢なのです。
私たちは、そのような悪なるものを取り除き、もっとも自分らしい輝く生命体になるための人生であると言えます。
かつて古代の神々の世界でも、騙(だま)しや裏切りがありました。
そのため、怒った神々は地球の大地を切り裂き、
大陸が分かれてしまったという話があるのです。
騙された神々は大地を切り裂きましたが、
騙した神々はどこにいったのでしょうか。
騙した神々は、地底の奥深くに閉じこめられ、
燃える硫黄(いおう)の海の中で苦しんでいるのです。
この事が天国と地獄の発想につながったのです。
よく覚えておきなさい。
騙した者は結局、最後は苦しみ抜くようになるのです。
あなたが早くその者を許して地獄から救い出す必要があるのです。
そして騙した者を悪の道から神の世界に立ち戻るようにすることです。
はじめて私はインドに行ってババ様の講和を聞いたり、本を読んだ時に神々の中で争いがあったり、騙し合いがあったと聞いて、長年、クリスチャンとして神を信じてきた者にとっては、かなりのショックであったことを覚えています。
しかし、その後わかったことは、神とは唯一、絶対的なものではなく、宇宙に偏在する神聖な存在を神々と呼び、神々の中にも様々なステージがあり、決してすべての神が絶対的なものではないと知ることができました。
すなわち、ババ様の言うとおり、我々も神々の一部であり、より高い精神性を望んで生きているわけですから、たとえ生まれ変わることを終えた者であっても、高い存在の神々からみれば、発展途上の様々な霊たちもいるのであり、その者たちが争いを起こし、騙し合ったとしても致しかたないことであると考えるようになってきたのであります。
このテーマの中でババ様が伝えることは、騙し、裏切った者は結局、神の道から外れる者であり、騙され、裏切られた者はそのような者に引きずりこまれるのではなく、むしろそれらの者を救いあげなさいと言っているのであります。
あなたの目の前にいる人々はたとえどんな人であってもアヴァーター(神の化身)であり、そのように接しなさいとババ様は私たちに伝えているのであります。
そのことを完全に行なうことは、私にとっても現在の段階では不可能のように感じますが、でもやはりババ様のチャレンジをしっかりと受け止め、いつの日かそのようになりたいと願っております。
人は何世代にも渡って様々な体験をします。
今、あなたの抱えている問題は決してはじめての事ではなく、
過去においてもあなたが体験したものなのです。
あなた達は過去において体験したものの中で、
まだ解決していない事柄を、形を変えて体験しているのです。
過去のあなたも今のあなたと同じように
悩みながら解決しようとしたのです。
勇気を持ちなさい。
あなたが今、解決しようとしている事は
過去のあなたも望んでいることであり、
あなたの大きな役割なのです。
必ず解決すると信じて進みなさい。
そして自分はひとりではないことを信じて一歩進みなさい。
そのことによりあなたは人生の勝利者となる一歩を踏み出したことになるのです。
ババ様のアシュラム(霊性修行の場)には毎日数千人の人々が朝早くから並び、ババ様の姿を一目見ようと待ち続けます。
通常、朝7時ごろにババ様が皆の前に姿を現し、大勢の聴衆の間を進みながら、声をかけたり、手紙を受け取ったり、さらにはビブーティ(聖灰)を物質化しながら祝福します。
私はババ様のアシュラムに行くたびの、今か今かと待ちわび、そして何度行ってもババ様の御姿を久しぶりに見ると、涙があふれて止まらなくなります。
威厳があり、しかしなおかつ優しさと愛に溢れた神の化身であると言われババの一挙手一投足は、アシュラムに集った者に安らぎと喜び、そして平安を与えてくれます。
毎年、十数名の方と私はババ様のもとに行っておりますが、お連れした人々が皆、感動して泣いている姿を見るにつけ、ババ様の偉大さと愛の深さを感じます。
ババ様は私たちにいつも一人ではないこと、必ず助け手がいること、諦めないで助けを求めるならば必ず祝福されることを伝えて下さっていますが、今、問題を抱え、苦しんでいる方は、どうかババ様に助けを求めたらよいと考えます。
ニ十数年にわたるババ様とのつながりの中で、私は何度もババ様に助けられ、導かれてきました。
今、このブログを読まれている方に心からあなたが幸せになるよう、悩み苦しみが軽くなって、平安を取り戻されるよう心から願い祈っております。
第47回 「なぜこれほど人生に差があるのですか」という問いに対して
すべての者は神の目から見て平等です。
しかし、多くの者はある人は平坦な道を歩いているから幸せだと言い、
ある者は坂道を下りているから楽で幸せな人生だと言います。
そのような者は、それに比べて自分は坂道を上っているから苦しく、
不幸だと不平不満を述べます。
そして、神は不公平だと言うのです。
様々な人生において様々な道があり、
それぞれの者がそれぞれの道を歩んでいるのだと思いなさい。
坂道を乗り越えた者は、達成感に満たされ、
幸せな思いに包まれることを忘れないようにしなさい。
私は「過去世リーディング」の本でも書きましたが、我々はみな、異種競技を行っているのであり、それぞれの人生を比較することは意味のないことなのです。
ババも同じように、それぞれが歩む道はその人にとってもっとも大切なものであり、比較するものではないと言っております。
私たちは他人との比較をやめて、自分の人生を真摯に受け止め、自らの人生を成功へと導くことにだけ集中することが大切なことであると思います。
第46回 「不幸な人生をどのようにしたなら幸福の人生に変えることができるか」という問いに対して
幸福と不幸の違いはただ1つです。
満足できるか、満足できないかのどちらかにより、幸福か不幸かという感情に分かれるのです。
誰でもその時の状況だけで幸福か不幸かは判断できません。
あなたは満足することを望むことより、何が自分にとって必要なのか、何が自分にとって大切なのかを知ることができれば、その時の状況だけで、幸か不幸かというマーヤ(幻)に悩まされることがなくなっていきます。
よく覚えておきなさい。
真の幸福とは自分の望んだことが実現することではなく、自分の望んだことにより
皆が幸福になるということなのです。
人の幸か不幸かは誰もが興味をもち、知りたいものです。
しかしババ様がメッセージで伝えているとおり、自分の望むことが叶うか、叶わないかで幸か不幸かを決めてしまうならば、あまりにも我々の幸福は薄っぺらなものになってしまうと思います。
ババ様の言う真の幸福とは、相手のことを思い、相手が幸せになることにより、自分が幸せになるという神の思いを教えてくれたものと思います。
ババ様はこれまで70年近くに渡り、地球上に住むすべての人々の幸福を願って活動してきました。
この偉大なる愛は、なかなか一般の人には理解されず、多くの苦難を伴いながら、現在にまで至っているということがわかります。
自分より先に他人の幸せを願うことは難しいことではありますが、ババの言うように我々がアヴァーター(神の化身)ならば、やはり、ババの言うとおり他人の幸せを願い続ける者になりたいと思います。
<質問>
『いままでの人生で両親からは充分に愛情を受けて育ったと思います。
ときに第三者からは過保護とも見られたようですが、それでも子供としては愛情をたっぷり受けて育ったという感覚を持っているし感謝もしています。
また他人との関わりでも比較的愛情や好意をいただいてきたと感じているのですが、なぜか自分が自分を愛せません。
自分以外の人には愛情(好意)を抱くことがそれほど苦にならないのですが。いつも「自分を愛しなさい」と教えをいただくたびに悩みます。 自分を愛するってどういう感覚なのでしょうか?』
というご質問をいただきましたので、ご回答します。
私も以前、自分が嫌いで随分悩んだものです。
あなたと同じように充分愛情を与えてもらい、尚かつ兄弟や周囲の人のやさしい言葉と愛情によって成長してきたのでしたが、特に成人した後、自分の目標が定まらず、自分の才能や能力に疑問を感じ、さらに自分を嫌いになっていく体験をいたしました。
自分の顔、姿、性格がすべて嫌になった私は、現在の自分を無くせばいいという考えのもと、極端な断食や長時間の瞑想などをして、自分を否定する自分を全面的に打ち出し、自分を苦しめ、否定し、自分でない自分を作ろうとしたものです。
しかし、当然のごとくそのようにすればするほど、私の心は傷つき、完全に自己否定する体験をいたしました。
苦しみ抜きながら、「どうすれば自分を好きになれるのか、自分を許せるのか」と祈り続け、私はとうとうインナーチャイルドと出会うことができました。
私は心から自分が好きになりたいと願っていたため、インナーチャイルドと出会う誘導を真剣に受けました。
その中で見えてきた映像は、狭く暗い部屋、私の5歳の時の男の子が背中を丸めて座っており、私はその小さな背中に向かって、「どうかあなたと仲良くなりたいし、理解したいのでこちらに顔を向けてほしい」と願いました。
私のインナーチャイルドは肩を震わせながら「あなたはいつも僕を叱ってばかりいる。何も認めてくれない」と言って、なかなか顔を見せてはくれなかったのですが、何度も心から話し合いたいと願い、「今度こそ決して批判もしないし、押しつけもしないから話をして欲しい」と頼んだのでした。
ようやく振り向いて顔を見せてくれたインナーチャイルドは目にいっぱい涙を浮かべ、「いつも僕を否定して、認めくれなかったし、やさしい言葉をかけてくれなかった」と言って私を見つめるのでした。
私はその泣き顔を見て、どれほど私の心が泣いていたかを知り、「どうしたら許してくれるか、どうしたら泣かないでくれるか」と尋ねると、インナーチャイルドは何度も私に「本当に怒らないか、絶対に自分を馬鹿にしないか」と言って私に確認しましたので、私はインナーチャイルドの顔を見つめ、「絶対に怒らないし、馬鹿にしない」と約束したのでした。インナーチャイルドは意を決したように小さな声で、「ちっちゃな海老でいいから海老のかき揚げを食べたい」と、遠慮がちに指でちっちゃな海老を示して言うのでした。
一瞬、何を言っているのか訳がわからず、もう一度「どういう意味?」と聞くと、インナーチャイルドは「心は無理やり変えられても、体は急には変われない」と言って、私が霊性修行と称して、特に半年以上前から完全菜食主義に変えたことに対して、心の内を打ち明けてくれたのでした。
確かに肉類はそれほど食べたいと思わず、問題なかったのですが、魚介類の好きな私は、正直「無理をしてやめなければならない」という気持ちがあり、その事をインナーチャイルドは知っていて、小さな海老のかき揚げてんぷらを食べたいと言うことで、私の本当の気持ちを教えてくれたのだと理解しました。
たぶん、それまでの私でしたら、即座に「そのようなことでは本当にスピリチュアルな人生など歩めない」と言って、拒否したと思いますが、その時の私は本当に自分を愛したい、許してあげたいと思っていましたし、目に涙をいっぱい浮かべて、すがるように私を見つめて「認めて」と言っているインナーチャイルドを見ると、もう二度と厳しいことは言いたくないと考えました。
そして、「いいよ。必ず君の言うとおり、海老のかき揚げてんぷらを1週間以内には食べるからね」と約束しました。
それから2日後に久しぶりに海老のかき揚げてんぷらを食べました。食べているうちに、涙が溢れてきて、自分が無理していたことや、本当の自分の気持ちを蔑ろにしてしまったことを悔やむ気持ちがあふれ出て、何度も心の中で「許してほしい」と言いながら、海老のかき揚げてんぷらを食べました。
やがて私は心から自分が許されたような気がして、インナーチャイルドが喜んでいるという実感がわきあがり、自分は自分らしくいればよいし、自分のありのままが一番幸せなんだと気づき、インナーチャイルドの誘導の時に見た小さな私の姿を心から愛おしく感じ、これからはこのインナーチャイルドを心から愛し、絶対に悲しませないと決心したのでした。
私はその後、あれほど自分を嫌いで愛せなかったことが嘘のように消え去り、自分の顔や姿を鏡で見ても嫌いではなく、自分はこの人生、この顔姿、性格でしっかり生きていこうと考えられるようになりました。
あなたのおっしゃるように多くの方が自分をなかなか愛することができず、悩んでいらっしゃいますが、私の経験をとおして言えることは、あなたの内なる心であるインナーチャイルドと仲良くすることができ、そのインナーチャイルドを愛することができれば、あなたは間違いなく自分自身を好きであると言え、自分を愛するという本当の意味がわかるようになると思います。
アルケミストではそのような方のために様々なプログラムを用意しておりますが、その中でもインナーチャイルドと出会う旅というエネルギー誘導は多くの方に喜びと感動をもたらしていますので、もし機会がありましたらインナーチャイルドと出会う旅の誘導を受けられてみてください。
あなたのインナーチャイルドの気持ちを読み取ると、
「人の幸せは才能や、人よりも優れた能力を持っていることじゃないよ。あなたはみんなから愛されているし、あなたもそのような人を感謝をもって愛しているのだから、もう過去のことは許して、忘れてあげて欲しい。もう自分を責めないでほしい」と伝えています。
あなたが心の内が開かれて、あなたの本当の素晴らしさや価値に気付かれますよう、心から願い祈っております。
赤ん坊は一生懸命母親のおっぱいを吸います。
その時の満腹感により赤ん坊は体と心が満たされます。
その後、赤ん坊が成長して母親になると
今度は自分のおっぱいを赤ん坊に飲ませて、
その赤ん坊を満足させるのです
愛される者は多くの愛を受けた者であり、
それを返すことは当然のことであると考えますが、
愛されなかった者は簡単に相手に満足感を与えられなくなってしまうのです
いくつになっても、愛が満たされなかった者は愛が必要であり、
満たされるまで母の乳を求めるかのように、
願い続けるのです。
私にその愛を求めなさい。
私はあなたの父であり母なのですから、
私は必要とする愛の乳をあなたが満足するまで与え続けます。
あなたがそのことにより満足するならば、
あなたは多くの者に愛を十分に与えられるようになり、
多くの者から愛される者となるのです。
サイババという名前の由来は、神聖なる宇宙の母(サイ)、そして父(ババ)という意味からなっています。
私はこれまでにも二十数回にわたってババのもとを訪れ、さまざまな祝福を受けてまいりましたが、そのたびにババの顔は厳しい父親であったり、とろけるような愛に満ちた母の顔となります。
私たちには愛が必要です。
しかし現実的に両親から愛されず、辛い思いをしている人々がいることは、すべての人がわかっていることだと思いますが、ババはそのような者に限りない愛を与え続け、愛されるものへと変換させようとしているのであります。
愛することが難しいと考えている人、なかなか人に愛されないと思っている人へお伝えします。ババは必ずあなたに愛を送り、あなたを満たしてくれます。
ババに心の思いを打ち明け、祈ってみてください。あなたの心がババの愛で満たされて、幸せになりますよう、心から願っています。
2017年5月 | ||||||
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