町の中心地から約1時間のところに秦の始皇帝が眠るとされる秦の始皇帝陵があり、その隣に兵馬俑坑があります。
秦の始皇帝の最強精鋭部隊の陣容を形づくっている膨大な数の等身大の兵士の埴輪が立ち並び、それを見た時には、始皇帝がどれほどの絶対権力を持ち、支配していたのかを思い知らされました。
また、驚くことに兵馬俑の一つひとつの顔が皆違い、その工芸技術の高さと精密な兵士の姿を見ると、どれほど多くの者たちがこの兵馬俑の制作のために人生を費やしたのかと考えさせられ、感動というよりはむしろ息苦しさと胸の痛みさえ覚えるのでした。
秦の始皇帝の時代には私は中国にはおりませんでしたが、心の奥深い部分で権力者が弱者をとことん痛めつける姿に私自身、過去の同じような体験から深い怒りさえ感じるのでした。
私が過去世をリーディングし、さらに過去の自分をまざまざと思い出すようになってからは、その場所、場所における過去の映像は他人ごとではなく、まるで自分の体験のように感じることから、兵馬俑の博物館では少なからず感動と喜びというよりは、まるで辛い体験を思い出したかのようになってしまうのでした。
しかし、博物館の売店でその兵馬俑を発見したという老人が丁寧に、博物館が制作した書籍に自筆のサインをしている姿を見て、息をのむような思いに駆られました。
パイプをくゆらしながら、奢ることなくただ淡々と求めに応じてサインをしているその老人の中に、先ほど見た兵馬俑を熱心に作っている男性の姿が浮かび上がってきたのであります。
2000年以上の時を越えて、その老人は再び、中国に生まれ変わり、なおかつ兵馬俑を畑から発見した者として名前が知れ渡ったのでありますが、奢ることなく、お金に走ることなく、かつて自分が作った兵馬俑を守るがごとく、この博物館の売店で座っている姿を見て、私は心からよかったと感じるのでした。
気持ち良さそうに煙草のパイプをくゆらす姿を見て、かつて兵馬俑を作った者たちは、決していやいや作らされてわけではなく、むしろ芸術家のように作品をこよなく愛していたという一端を垣間見た気がして、ようやくこの場所にきて良かったと感じることができました。
博物館を出て出口に向かう通り沿いに売店が両脇に立ち並び、中年の女性たちが競い合うように甲高い声で客を呼び込んでいるのですが、その中に一人の老人がアケビの入った籠をさげて、ただ立っておりました。
その姿があまりにも悲しげで、他の売り子と違い声を出すこともなく、申し訳なさそうにアケビを売っているのでした。
彼の背後には過去で傲慢だった兵士の姿が見え、2000年以上前、彼は権力をふるい、兵士として多くの民衆や農民を支配下に置き、様々な人々を苦しめていた姿が浮かび上がるのでした。
しかし、今世は逆にそれほど豊かでない身なりから推測できるように、身分の低い農民として人生をやり直していることがわかりました。
この兵馬俑坑を中心とする空間の中に、かつて絶大な権力をふるった者たちと、虐げられた者たちが逆の形をとって生まれ変わり、様々な体験をしているのだと改めて感じるのでした。
何百回となく繰り返される輪廻の中で、我々は体験をとおしてのみ成長、進歩できるのであり、私はますます一人一人の過去世を解き明かし、その方が今世どう生きるべきか、どのように進んだらよいかを知るチャンスをお伝えしたいと感じるのでした。
2012年8月 | ||||||
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