私は長年大山に住み、このように冬が来るたびに
葉を色づかせて自分の生きていることを知らせてきました。
そして、春になれば、また若々しい緑の葉を出して
いつまでも生きる喜び、生き続ける喜びを感じるのです。
どうかこの葉を、散りゆく葉ではなく
新しい変化の色であると知ってください。
皆さんも冬になったらば
あたらしい生命を生み出すための準備の期間だと思って
元気に新しい年を迎えてください。
私はこのようにして、これからも100年、200年と生きたいと思っています。
~大山の木のメッセージ~
私は、山を歩くことによって自然から様々なことを教えていただいています。
木々は美しい紅葉と散りゆく葉を見せながら、あたらしい生命への希望と喜びを語ってくれました。
山歩きの中で、燃えるような紅葉に出会いました。その純粋で力強い赤は、目的をやり遂げたものの達成感と誇らしさを示していました。私は自然の中で様々な色の意味を学んできました。オーラの勉強をしている方は知っていると思いますが、代表的な赤の意味合いは力や情熱です。しかし、赤はその他にも様々な意味をもっています。紅葉の燃えるように輝く赤は、目的をやり遂げたという達成感であり、木々の生命力の象徴です。そして、めぐる季節の中で、全身で生き抜くことへの讃歌です。これから冬を迎え、木々の葉は落ち、森はいったん眠りについていくかのように見えます。しかし、その中では変わらずに生命エネルギーが息づき、やがて再び春を迎えるのです。我々の人生も、全てをやり遂げ時には魂の色が燃えるように輝くのでしょう。潔いほどの力強い赤の色に、私は感動を覚えたのでした。
私にとって山を登ることや美しい自然の中に入ることは、最高の楽しみであり、安らぎであります。山を登ることで私は自然と地球のエネルギーいただいて、自分自身を取り戻し、さまざまなメッセージを受け取っていくことができるのです。
汗を滲ませて樹林帯を抜け、開けた広場のような将軍平にでると、道は露岩が積み重なる急坂に変わり、まるでよじ登るように岩の間を進んでいきます。汗が流れ、息があがります。登っても登っても岩の道は続きます。息を弾ませひたすら頂上を目指すと、遂に傾斜が緩くなり、頂上が私たちを迎えてくれました。
抜けるような澄み切った青空の中、360度の美しい展望が広がります。八ヶ岳連峰や南北アルプスのその雄大な峰々が手に取るように見渡せます。
一緒に登った者たちと頂上に登って感じることは、大いなる地球の愛が山全体に広がり、なおかつ360度に広がる展望の中で、自分たちがこの地球の中で生かされていること、守られていることを強く感じたのでした。「地球に感謝したい、地球にお礼を言いたい」そのような気持ちが胸の中に熱くこみ上げたのでした。
先日、アルケミスト・ネイチャークラブの活動として、長野県の蓼科山への登山を行いました。その日は、天候にも恵まれ、澄み切った青空の下、南北アルプスの峰々が神々しい姿を見せてくれていました。
登り始めてカラマツ林を抜けると、樹林はシラビソの原生林へと変わり、急斜面の登山道をジグザグに登っていきます。振り返ると、眼下には女神湖が空の青さを映し、山々が澄み渡った空気の中で輝いていました。ふと見ると、登山道の横で老木が立ち枯れて、今まさにその生命を終えようとしていました。しかし、その姿からは不思議と悲しみや苦しみは感じられませんでした。むしろ生命の力強さとすがすがしさが伝わってくるのです。枯れているけれどエネルギーは生き生きとしているのです。
わずかに根元の部分にエネルギーを残して、その木は自らの生命を使い果たしていました。自らの人生の目的を立派に成し遂げた木の万感の思いが私の心を満たしました。その達成感と誇らしさにあふれたエネルギーから、私は生命を使い切ったもの、使命をまっとうした者にとっては、死は決して恐ろしいものではなく、平安なのだと改めて実感し、感謝の念を伝えて再び山頂への道を進んだのでした。
その夜、美しい満月がアンコールワットの寺院の尖塔を明るく照らすとき、私はまさしくこのアンコールワットの尖塔を目指して、多くの魂が他の惑星から来る光景を目の当たりにすることができたのであります。
アンコールワットが形成される以前、この地は龍座の形をとって作られ、その後、実際にアンコールワットとして龍座の形に基づいて作られたことがわかっています。
今後ますます多くの他の惑星の魂が龍座の形をとったこのアンコールワットを目指して、舞い降りてきて、地球人として様々な体験をするのだと考えると、このすばらしい春分の日にこうして訪れることができたこと、自分自身が過去においてこの地にいたと知ることができたことが素晴らしい祝福なのだと感じたのでした。
またアンコールワットを守る神々たちからこの地をさらに神聖なものとして守っていくならば、このアンコールワットは魂ばかりではなく、肉体の癒しの場として将来、多くの者が訪れ、祝福されるということもメッセージとして受け取ることができたのです。
アンコールワットの近くにあるプノンパケンの丘から見る夕日はあまりにも美しく、参加者全員が感嘆の声をあげ、皆夕日に手を合わせ、感謝を捧げるのでした。
今後私は、澤田先生とともに各地の遺跡や様々な歴史、建造物を訪れながら、さらにスピリチュアルで時空を超えた旅を続けていきたいと思っています。
もし、機会があればこのブログを見た方々の中で、いつの日かその旅でご一緒できることを楽しみにしております。
なお5月7日からは毎年恒例となっているサイババさまのもとに二十数名の者とともに行ってまいりますが、新しいメッセージと展開が待ち受けていることがわかっておりますので、インドから戻ってきたときには、また皆様にインドにおいての様々なすばらしい体験やメッセージをお伝えできればと考えております。
その日の午後、澤田先生が前もって準備されたアンコールワットの歴史背景の資料に基づいて、アンコールワットの成り立ちや当時の情勢などを詳しくレクチャーしてくださいました。
寺院に向かう道は石畳になっており、その石畳の両脇にある欄干はこの寺院を守るための巨大な蛇が彫刻されており、私はその欄干の石に触れるたびに過去における自分の記憶を呼び覚ますのでした。
1千年以上経っても石は滑らかで温かみがあり、通常の遺跡のように形骸化したものではなく、まさにこの地には神聖なる力と純粋な魂が宿っていると実感したのでした。
アンコールワットの中心をなす寺院の尖塔には、今まで見たこともないような虹色に輝くオーラが燦然と輝き、確かにこの地は聖なる者から守られていると感じるのでした。
その後、参加者それぞれが自由に散策している間、私はまばゆい光とともにこの地を守る神々からメッセージを受けるリーディング体制にはいるのでした。
過去におけるアンコールワットの建築の際の様々な過去の情景が浮かび上がり、その中でも特に多数の僧侶がこのアンコールワットの寺院の祈願のために祈りを続け、またさらに神聖なる音楽が鳴り響き、この寺院の永遠なる繁栄と祝福を願う姿が、まさに私が座っている石柱の場所で行われていたことが体感できるのでした。
そしてこの寺院は当時、祈りをなした僧侶がスールヤヴァルマン2世王の命により、王が亡くなったあともこの寺院を守るようにという命令に基づいて、王の側近の僧侶たちが1千年以上たった今も生まれ変わりを行わず、延々とこのアンコールワットを守っていることを知るのでした。
この純粋な信仰と忠誠心は宇宙に存在する神々の中にも知れ渡り、彼らの信仰心と忠誠心に対して祝福を与えているということを知るのでした。
寺院の尖塔すべてがすばらしい虹色に輝くオーラに包まれているのは、まさにその象徴であり、この地が神聖な場所として守られていることをさらにはっきりと知ることができたのでした。
私は澤田先生をはじめとして、参加者の方々にこのアンコールワットを守る神々のメッセージと、それぞれが今、何をなすべきか、今後どのように進めたらよいかという個人的なことについて神々のメッセージをお伝えしました。
そしてこの神聖な地でメッセージを皆さんにお伝えできる機会を得たことを心から感謝し、その場を離れたのでした。
その後、このアンコールワットを守る数多くの僧侶たちとそれを祝福する神々からメッセージをいただき、アンコールワットが他の惑星から生命を宿すためにイミグレーションドア、すなわちそれが地球に入るための入口であることを教えていただきました。
世界各地にいくつかのそのようなイミグレーションドアがあり、アンコールワットの遺跡そのものがその目印となっていることを知ることができたのです。
次回に続く
3月20日から24日までカンボジアのアンコールワットへ行ってまいりました。
今回、私は敬愛する医学博士の澤田祐介先生とともにカンボジアのアンコールワットでセミナーを開くことになっておりましたので、出発する前からこの旅を楽しみにしていた私は、アンコールワットで澤田先生とともにこのツアーに参加された方々に、どのように今回のセミナーのテーマである「時空を越えた魂の世界」をお伝えできるかと考えておりました。
私と澤田先生は数年前のあるフォーラムにおいてお会いして以来、家族ぐるみでお付き合いをさせていただいておりますが、医学のみならず、先生の並はずれた宗教、歴史などの知識は私にとって心躍るものであり、ぜひとも先生からアンコールワットにおける様々な歴史的な事実を教えていただこうと考え、この旅が実現したのでした。
バンコク経由で初めて訪れたアンコールワットのあるシュムリアップ空港に降りた時、私はあまりの懐かしさに感動さえ覚えたのでした。
私は様々な国を訪れるたびにその地の空気や風の匂い、そして大地の響きを感じながら、深い意識の中にそれをインプットし、クライアントの過去世リーディングを行うときに、間違いなくその地にいたということを確認するために使うことが多いのですが、この時私がすでにこの地の香りとバイブレーションを体験していたことを感じ、はるか以前に私がこの地に住んでいたことを知ったのでした。
次の朝、世代を越えて久しぶりにアンコールワットを訪ねた私は、懐かしさでいっぱいとなり、橋を渡ってアンコールワットに入るまでに私は過去世における懐かしい様々な映像が現れては消えていくのでした。
多くの方がアンコールワットの尖塔の間から浮かび上がる朝日を見るために集まってきておりましたが、私たちも皆、日の出がいつ上がってくるのかと待ちわび、アンコールワットの敷地内で待ち続けたのでした。
雲がかかり、「今朝は無理なのでは」という声が上がった瞬間、雲の合間から赤く美しく輝く朝日が次第に姿を見せてくれ、私たちメンバー一同は感嘆の声を上げるのでした。
そのような中、かつて強大な国家を作り上げたスールヤヴァルマン2世王が数多くの兵士と僧侶を従えて、同じようにこの時期に朝日を見つめ、神のご加護を祈った儀式を思い出し、やはり来るべきして来るべき時に来たのだと実感したのでした。
次回に続く・・・・
町の中心地から約1時間のところに秦の始皇帝が眠るとされる秦の始皇帝陵があり、その隣に兵馬俑坑があります。
秦の始皇帝の最強精鋭部隊の陣容を形づくっている膨大な数の等身大の兵士の埴輪が立ち並び、それを見た時には、始皇帝がどれほどの絶対権力を持ち、支配していたのかを思い知らされました。
また、驚くことに兵馬俑の一つひとつの顔が皆違い、その工芸技術の高さと精密な兵士の姿を見ると、どれほど多くの者たちがこの兵馬俑の制作のために人生を費やしたのかと考えさせられ、感動というよりはむしろ息苦しさと胸の痛みさえ覚えるのでした。
秦の始皇帝の時代には私は中国にはおりませんでしたが、心の奥深い部分で権力者が弱者をとことん痛めつける姿に私自身、過去の同じような体験から深い怒りさえ感じるのでした。
私が過去世をリーディングし、さらに過去の自分をまざまざと思い出すようになってからは、その場所、場所における過去の映像は他人ごとではなく、まるで自分の体験のように感じることから、兵馬俑の博物館では少なからず感動と喜びというよりは、まるで辛い体験を思い出したかのようになってしまうのでした。
しかし、博物館の売店でその兵馬俑を発見したという老人が丁寧に、博物館が制作した書籍に自筆のサインをしている姿を見て、息をのむような思いに駆られました。
パイプをくゆらしながら、奢ることなくただ淡々と求めに応じてサインをしているその老人の中に、先ほど見た兵馬俑を熱心に作っている男性の姿が浮かび上がってきたのであります。
2000年以上の時を越えて、その老人は再び、中国に生まれ変わり、なおかつ兵馬俑を畑から発見した者として名前が知れ渡ったのでありますが、奢ることなく、お金に走ることなく、かつて自分が作った兵馬俑を守るがごとく、この博物館の売店で座っている姿を見て、私は心からよかったと感じるのでした。
気持ち良さそうに煙草のパイプをくゆらす姿を見て、かつて兵馬俑を作った者たちは、決していやいや作らされてわけではなく、むしろ芸術家のように作品をこよなく愛していたという一端を垣間見た気がして、ようやくこの場所にきて良かったと感じることができました。
博物館を出て出口に向かう通り沿いに売店が両脇に立ち並び、中年の女性たちが競い合うように甲高い声で客を呼び込んでいるのですが、その中に一人の老人がアケビの入った籠をさげて、ただ立っておりました。
その姿があまりにも悲しげで、他の売り子と違い声を出すこともなく、申し訳なさそうにアケビを売っているのでした。
彼の背後には過去で傲慢だった兵士の姿が見え、2000年以上前、彼は権力をふるい、兵士として多くの民衆や農民を支配下に置き、様々な人々を苦しめていた姿が浮かび上がるのでした。
しかし、今世は逆にそれほど豊かでない身なりから推測できるように、身分の低い農民として人生をやり直していることがわかりました。
この兵馬俑坑を中心とする空間の中に、かつて絶大な権力をふるった者たちと、虐げられた者たちが逆の形をとって生まれ変わり、様々な体験をしているのだと改めて感じるのでした。
何百回となく繰り返される輪廻の中で、我々は体験をとおしてのみ成長、進歩できるのであり、私はますます一人一人の過去世を解き明かし、その方が今世どう生きるべきか、どのように進んだらよいかを知るチャンスをお伝えしたいと感じるのでした。
中国へ行ってきました。北京から始まって、ウルムチ、トルファン、敦煌、西安とシルクロードをたどりながら、様々な歴史の記録を体験してまいりました。
見渡す限り続く広大な砂漠と点在するオアシスの光景を目の当たりにしながら、かつて多くの者たちがこの道を徒歩やラクダで数千キロにわたる旅をしたことを考えると、過去の人々の偉大なる功績に感動を覚え、感謝の念さえ湧きあがってくるのでした。
3000名以上のクライアントの過去世を見てきた私ですが、中国に過去世を持つ方がかなり多く、私としては直接中国の大地に触れること、その土地が織りなす香りと、風と空気を肌で実感しながら中国の過去世における人々の体験をさらに五感をとおして感じることができるようになりました。
私の表面意識は中国という国をあまり好まず、むしろあまり訪れたくないという気持ちがありましたが、今回どうしても行かなければならないような気がして、ようやく中国の大地を体験することができました。
最初に北京の紫禁城を見たとき、正直私の中で紫禁城をはじめて見るというよりも、血なまぐさく、どろどろとした権力闘争に明け暮れた世界がよみがえって来て、できればあまりここにはいたくないとさえ感じるのでした。
その後、飛行機を乗り継いで天山山脈が見える盆地の町ウルムチに着きました。ウルムチは乾燥し、風が爽やかであり、北京とは違って私はほっと安堵の息をもらすのでした。
この風の香、懐かしい天山山脈の山の風景は、私が遥か昔この地域にいたことを感じ、これからはじまるシルクロードの旅の中で、自分の過去における体験が取り戻せるであろうと予感するのでした。
特にウルムチからトルファンに向かい、火焔山の麓にあるベゼクリク千仏洞を訪れた時には、さらに懐かしい記憶がよみがえり、草の木一本生えない山の峰々の間に、忽然と川が流れ、緑が生い茂っている姿を見て、自分は間違いなく1000年以上前にここを訪れたことがあると感じるのでした。
洞窟の中に描かれた様々な壁画は無残にも多くが傷つき、はぎ取られ、悲しい思いになったのでしたが、赤とブルーの絶妙に配置された誓願図を見た時は傷も少なく、守られていてよかったと心から感じるのでした。
その日午後、ウィグル人の農家でお茶を飲み、名物である干しぶどうをいただいた時には、かつて自分が味わった食事や果物、そして水の香が強くよみがえり、いつまでもそこに留まっていたいとさえ思うのでした。
1000年前の自分の過去世の体験は現在の私に様々な影響を与えており、機会がありましたら、その時の私の過去世を解き明かしながら、いずれその当時の歴史を紐解くことができたらと考えております。
その後、敦煌をめぐり、西安にたどり着きました。碁盤の目のように整備されている西安の町を偉大なる漢民族が作り上げた城壁の上から眺めると、中国の偉大な歴史を垣間見ることができ、かつて自分もこの中国にいた者として、さらに中国の歴史、並びに中国の文化、生活様式などを学ばなければならないと感じたのでした。
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