暑い、暑い夏が過ぎてゆきました。私は今年の夏は丹沢山系の縦走をしようと考え、2泊3日でひたすら山の中を歩き続けました。
山頂に登ったときの達成感や爽快感は、何とも言えません。一度この感覚を味わった者は、病みつきになりますが、日頃、なかなか時間がとれない私としては、夏休みを利用して山小屋に泊まりながら縦走しようと計画しました。
しかし、いざ、登山をはじめてみると、石ころだらけの岩山を登ってゆくのは難儀なもので、少し登るだけで息切れがしてきて、みっともないくらい汗をかきかき、休み休み歩き続けたのでした。
いくつかの山を登り降りしながら目指す山に向かっていくのでしたが、目指す山は遙か彼方にあり、絶望的な気持ちにさえなってしまうのでした。
やがて高度が高くなってくると。辺り一帯、靄がかかり、周りがまったく見えなくなり、幻想的な様相を呈するようになってゆくのでした。
たぶん、登山のことにあまり興味の無い方にとっては、何でそんな苦しい思いをしてまで山に登らなければならないのかと思うのではないかと思いますが、登山をする者にとしては、途中は苦しいかもしれないけれど、達成したときの喜びのことを考えると、一時的な苦しさは乗り越えることができるのではないかと思います。
日が暮れる前にようやく山頂の山小屋に着いた私は、雄大な山の嶺々を眺めながら、達成した喜びをかみしめたのでした。
質素な夕食を終え、山頂に立って夜空を眺めると、下界とは全く違う空間が広がり、「来てよかった」と思い、満足することができました。
同じ場所であっても、高度が違うと環境はまったく異なり、下界では猛暑が続いている中、涼風が流れている山頂で、私はしばし、満足感に浸っていたのでした。
前回の話から引き続いて今回は私達の人生の計画書はどのように作られるかということについてお伝えしたいとお思いますが、先ほどの山の話しが、この人生における計画にも通じることがあると思い、はじめに紹介しました。
自分自身の人生を振り返ってみても、ちょうど山歩きのように様々な紆余曲折がありました。
ごく平凡な家庭に生まれ、10代半ばまでは何事もなく過ごしていた私ですが、その後は、これでもかというくらい、大きな出来事に巻き込まれることも多く、それはまるで最も辛い山登りをしているようなで状態であったと思います。
しかし、気づいてみると自分はそれまでとは全く違う世界にいて、精神世界にどっぷりとつかっている自分に気が付くのでした。
その後、私はまるで何かに憑かれたかのように、この世界を歩み続けたのでしたが、そのたびに、親しい者が離れていったり、批判されたりして苦しい思いをしたものでした。
私の思いや願いに共鳴してくれる者は、私の話やヒーリングを喜んでくれたのですが、私の行動を理解できぬ者は、私がおかしくなったとまで言って、私を攻撃するのでした。
喜び、感謝してくれる者と無視し、批判する者の間にはさまれて、私は苦しみぬき、孤独感にさいなまれることもありました。
それぞれ人には様々な人生があって、順風満帆の人もいれば、生まれた時から苦労続きの人もいます。また、病気に苦しむ人、貧しさや人間関係で苦労の絶えない人もいます。
「このことは誰が決めたのか」。私は以前から疑問に思い、この不公平感をどうしたら解放できるのかを思い続けてきました。
そして、私の使命である『過去を解き明かし、未来を語る』ことを行うようになって、次第に自分の身に起こることは、神が罰するためのものではなく、私達自身が自らの発展成長のために計画、実行していることに気づいたのでした。
『自らが自分の人生を計画し、実行する』
これが、多くの人々の人生を見てきた私の結論です。
その計画は、いつどこで、どのように作られているのか、いよいよ次回、詳しくお伝えしたいと思います。
2012年8月 | ||||||
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はじめまして。ひょんなことから先生のサイトを発見し、以来とても楽しく拝読しております。なぜか1年ほど前から急にスピリチュアルな事柄に強く引きつけられるようになり、少しずつ勉強している者です。先生の書かれている言葉は「心の滋養」として、いつもありがたく受け取っています。海外在住の身ですが、遠くから益々のご活躍をお祈りしております。