−生きるうえで大切なことー 365日のメッセージ 私たちにとって最も重要な「生きる意味」や「自分自身の今世の使命」。その答えとなる神聖で素晴らしいメッセージがいつも私のもとに届いています。 メッセンジャーとして、リアルタイムに皆様にお伝えしています。

第117回 コンプレックスから解放されるには

コンプレックスを取り去ることができません。どのようにしたらいいでしょうか?
という質問に対して。


コンプレックスは他人との比較から始まります。

どちらが優れているか、どちらが劣っているかという判断によって

勝っている時には高慢さが浮かび上がり、

劣っていると感じた時にはコンプレックスが生まれるのです。

他人との比較をする限り、

常に高慢さとコンプレックスの罠にはまってしまうのです。

他人との比較をやめるべきです。

そして自分の信じた道を歩むのです。

そうすれば、あなたはそのようなぬかるみから抜け出して、

最も幸せな人生を歩めるのです。


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第115回 自由意志とは何ですか?

自由意志とは神の意志であり力です。

自由とは、好き放題のことを行って良いというのではなく

自らが良しとすることを行う力です。

すなわち、神の意志こそ本来の自由意志であり

その力を使える者こそ、真に自由であると言えるのです。


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第113回 望む道を開くには

「望んでいることがうまく進まないのはなぜでしょうか?」
という質問に対して

一歩一歩着実に歩んで目的に到達するようにしなさい。

あまりにも急ぎすぎて道を歩むのなら

事故に見舞われて、全てを台無しにしてしまうのです。

自分の持ち場と能力に応じて

一つ一つ成し遂げていくことが大切です。

一歩一歩、確実に進んでいけば必ず望む道は開かれ、

目的地に達することができるのです。

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第108回 才能とは

才能は与えられるものではありません。発揮するものです。
誰かに多く与えて、誰かに少なく与えることはありません。
皆それぞれに、ふさわしい才能と能力を与えているのです。
ただそれを発揮するかどうかはあなた次第です。
自分の能力を発揮できるように祈り、求めなさい。
あなたたちは皆、私の息子、娘です。伝えることは一つです。
あなたたちを、時を超えて愛しています。
誰が何と言おうとも、どんなことがあっても、わたしの愛情は変わりません。
自分の才能を発揮するように、自分を信じて歩みなさい。
必ず勝利者になると信じて歩みなさい。
必要なら私に助けを求めなさい。
どんな時でも、どんな時間でも私はあなたたちを助けます。

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才能についての大いなる存在からのメッセージです。
以前にも才能についてのメッセージはお伝えしたことがありますが
今回はさらに大いなる存在の変わらぬ愛を感じるメッセージでした。

どんなことがあろうと、大いなる存在からの愛は変わることはありません。
私たちは、自分自身と大いなる存在を信じて歩むことが必要なのです。

第102回 本当の使命とは

使命は生き方です。自分の命を使い切って行うことです。

それは、命を使っても惜しくはないものなのです。


 連綿と続く過去世からみて「今世こそ、このように生きたい」という重要なもの、それが使命です。
 
 私の使命である「過去を解き明かし未来を語り癒す者」の中には様々な意味が含まれています。

 私はこの使命のもと、毎日過去世リーディングやヒーリングを行っていますが、
解き明かすということは、人の人生の中の宝石を探し出すことです。
 素晴らしいものを取り出していくのです。

 あなたはどんな生き方がしたいですか?どんな死に方がしたいですか?
「お金持ちになりたい」「有名になりたい」それは、単なる条件です。
 
 使命は生き方そのものであり、何世代もの間あなたが探し続けてきた大切なものです。
そのような覚悟と情熱をもって探すのなら必ず、使命に気づくことができるはずです。

 使命を行った時に、自分も含め、まわりの人がどれほど幸せにつつまれるか想像してみてください。
 人生を終える時に「私は自分の使命にもとづいて、人生を歩むことができた」と
喜びに満ちて最後の時を迎えるのなら、まわりの者は決して辛い悲しみを味わうことはありません。
 
 皆があなたの人生に感謝し、幸福な思いで見守ることができるのです。

 使命を生きた時、死は悲しみではありません。

 使命が同じ人は誰一人ありません。

 あなた自身の唯一のもの、一番良かったと思える生き方なのです。


‘09年11月21日(土)自己探求実現セミナー講義より

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第21回 人生の計画はいつ、どのように行われるのか4

 なぜ、私が自らが作り上げた計画書や人生の目的を知ることができたかについて今回はお話したいと思います。
 それは、私の前世であるインド人の修行僧が、二十数年にわたる身を削るような厳しい修行のおかげであると感じています。
 その前世の私は、修行の中で禁欲主義的な人生を送りながら求め続けたものは、人生の流れを知り、それを効果的に間違いなく達成するにはどのようにしたらよいかという方法論を延々と指導僧や大いなる宇宙の存在に尋ね続けたのであり、志半ばで過去世の私は崖からの転落事故という結果により、その志しを来世の私に託したのでありました。
 私はまず自分の人生の使命と目的を知ることにより、今世の自分がどのように歩めばよいか、何をすればよいかを間違いなく知ることができたのであります。
 すなわち、「過去を解き明かし、未来を語り、癒す者」という使命は過去の修行僧である私が望み続けたことであり、私はその意志を引き継いだものとして、それを達成するために今世の人生を選び、それを実際におこなうという計画書を作り上げたのでした。
 しかし、前世の私はあまりにも幼い頃から神秘主義であり、精神的な世界に入りすぎてしまい、三十歳で亡くなるまで、ほとんど交わるのは修行僧と一部の人間だけという狭い社会環境であったため、確かに使命に基づいた人生を行うということはしっかりと決めていたのでありますが、その前に、充分に平凡な幼年期、青年期を送り、実際に過去世の修行僧の望みを果たすべく、人生の転換期にいたるまでは、充分にそのような平凡で楽しい人生を送ることにより、過去でできなかったことを行ない、その上で今世における最も重要なことを行なうというタイムスケジュールを作ったのでした。
 もし私が過去の修行僧にように幼い時から精神的な世界に入ってしまえば、過去と同じ人生の繰り返しとなるため、そのような人生に対して拒否感や違和感が強くでてしまい、途中で挫折することになったかもしれません。
しかし、私の父や母は、宗教に対してほとんど無関心であり、私の環境は精神的な世界とは無縁であり、実際私も神仏に対する思いはほとんどなく、二十歳までは世俗的な喜びに焦点を当てており、まったく精神的な世界に若い時から埋没することがなかったことは、今更ながらにラッキーなことであったと感じるのであります。
 もし、私の考えが浅かったなら、早く精神的な道に入るために、両親ともども熱心な宗教家であり、スピリチュアルな仕事を行ない、私もその環境の下で成長していけば早い時期から精神的な世界を知り、早い時期にそのような世界で成功を治めるといったことも考えられたでしょうが、呆れかえるほど私の父親は自分の姉が沖縄で霊能者として働いているにもかかわらず、父親は実の姉を嫌い、霊能者の姉に対して批判すらしており、私にも常々おかしな世界に入らないように、病気は医者に任せたほうがよいと教えられたのでした。
 当時私は、叔母にあたるその女性と何度か会ったことはあるものの、父親の影響でまったくそのようなことに興味をもつことなく、少年時代を過ごすのでした。しかし、薬好きな父と違って、私は全く薬に対する強い拒否反応があって、どんなに体に痛みがあったり、風邪により熱を出しても両親に怒られながらも薬は絶対に飲まず、両親をはらはらさせたりもしたのでした。
 表面的な宗教観や人生観は平凡そのものでありましたが、深い意識の中では病気やありとあらゆる人生は薬では治せないし、ましてや西洋医学という世界においては生命の根本的な治療はできないという思いは薬をまったく飲まずとも必ず体の生命力が病気や問題を治してくれるという信念があったように思います。
 そのような両親のおかげで私は充分、自分で人生の目的に気づくまで過去にできなかった両親の愛情を充分に受け、家庭的な体験をすることにより、ある程度平凡な生活の体験に満足し、納得した上で過去世の目標と使命を自らが望んで引き継ぐことができたのだと感じております。
 しかし、自分の使命や目標に気づいたとはいえ、そのことを実際にどのようにおこなったらよいか、どのように進めたらよいかなどまったくわからず、その当時は獣医師として病院を経営しておりましたので、仕事が終わった後、深夜まで、確かに行き先はわかっているがどのように進んだらよいかわからない、まるで砂漠で道に迷った旅人のように天に向かって助けを呼び続けるのでした。
 今振り返ってみても、その当時は、リスクの多い時期であったと思います。何度も投げ出したくなるようなこともあり、あるいはあまりにも辛い精神的な状態のため、もう少しこのような状態が進めば気がおかしくなっても致し方ないという状態にまでなることもありました。
 ただ必死であった、命が助かりたいために命の水を求めてオアシスを探し求めるような旅人の状態であり、一旦。オアシスが見つかったと思ったときにも、すぐそのオアシスの水は枯れてしまい、再び別のオアシスを探すといったような状況の中で、心身ともに疲れ果て、これ以上一歩も進めないという混乱と苦悩の中でようやく実際に私を導く高貴な霊の存在が深夜、私の病院の中に光として現われてくれて、私にどのように今後進めたらよいか、何をしたらよいかを教えてくれるのでした。
 その高貴な霊は私にこのように伝えました。「お前がどれだけヒーリングの世界が好きかどうかを試した。悩み苦しむ者を心から助けたいという真実の思いがお前にあるかどうか、さらにお前が自分の影の姿に気づくかどうか(影の姿というのは、その時には私には全く理解できませんでした。しかし、その後、自分には様々な弱点やネガティブな思いがあり、決して私がこのような人生を歩むことになったのは、自分の性格や資質が優れているからではなく、むしろその弱点や後ろめたさを解消するために、このスピリチュアルな道を選んだということに気づき、決して自分が優れている存在であるという傲慢な気持ちをもたないようになったということ)試され、この3つの事項を確かにクリアしたことがわかったから、今日、お前は神聖な部屋に入ることが許された」と言って、私を祝福するのでした。
 その後は私は毎晩、ヒーリングマスターと呼ばれる霊的な存在から指導を受け、今後、どの様にこの世界を進めていけばよいのかを指導され、教育されていくのでした。

第20回人生の計画はいつ、どのように行われるのか3

 前回はどのようにして人生の計画書が作られるかについてお伝えしましたが、今回はそれが現実生活でどのように活かされるのか、私の経験を交えてお伝えしたいと思います。
 我々は過去世の体験に基づいて、自らがシェアリングソウルメイトと協力のもと、計画書を作成しますが、その計画書による束縛や規制はほとんどなく、あくまでも自分自身の自由意志に基づいて歩という形をとりながら、生まれ変わった人生において中間世で作られた計画書をまったく忘れたかのようにしながら人生を歩んでいくのであります。
 また、忘却の幕がなければ、私達は中間世で作られた計画書をまるごと覚えているわけですから、ほとんど解答の付いている試験問題のようになってしまい、自らの努力と力で解決するという喜びを持てずに終わってしまうのであります。
 実際私も、生まれてから二十歳ごろまではまったく精神的な世界や宗教的なことには興味がなく、ごく普通の平凡な人生を送っていたのでありますが、大学受験を何度も失敗するという経験や精神的な不安定さ、心の弱さなどを次第に痛感してくるようになり、その自分の失敗や弱さも、体験のおかげで本来歩むべき道である精神性の道へ、フォーカスすることができるようになり、今までの人生とは全く違った道へ進むことができるようになったのであります。
 特に25年間にわたるクリスチャン生活は私にとって多くの学びを得ることができました。自由奔放で、どちらかといえば直観型の私にとっては、クリスチャンという生活の中で、神に対する信仰心、忍耐、組織の中で自分の感性を充分に生かせないもどかしさ、などなどを体験しながら、より本来の自分にあった精神的な道を歩むための善し悪しを経験として教えてもらったのでした。
 私としてはその当時は自分の人生はこの道を歩むしかないと考え、心から信じて25年間、過ごしてきたのでありますが、常に心の中に寂しさと深い満足という経験は得られず、次第に心の奥底で「たぶん自分はこの方法では精神的な道を続けることはないであろう」という思いが強くなっていくのでした。
 そして、34歳の時に体験した突然の妻や二歳半の娘との火災事故による別れは、私の中に強烈な衝撃と本来の道を歩まなければならないという教訓を与え、悩みに悩んだ末、一度死んだと思えるような経験をした私は、再び命を生きながらえたのなら、本当に自分の道を歩まなければならないという気持ちがわかき上がるのでした。
 その後人生は今までとは比べようのないほど、次々とめまぐるしく変わり、気がついた時には私のなすべきことや、今世、行わなければばらないこと目標、使命に気づくようになってきたのであります。
 そこに至るまでの数年間は、まるで嵐に巻き込まれた小舟のようであり、体験的には本当につらくて逃げ出したくなることもたびたびあり、さらにこれまで行なってきた事や、自分が目指してきたことが間違っていたのではないかという疑念が湧きあがり、もうこれ以上、一歩も前に進めないという気持ちにさえなったのでありました。
せっぱつまった私は、本当に間違いのない人生を求めるために、それまで外面的で、世の中で認知されている宗教よりも、自分の本当の生き方や目標を見出すために、深い自己の意識や宇宙の大いなる存在からの神聖なメッセージを受け取るための作業をはじめるようになっていくのでした。
 それまでは、与えられた信念体系や戒めという規則に則って道を歩めば必ず天国に行けると信じていたのですが、本当の天国は地球から遠く離れた誰もわからないどこかの星にある天国というものではなく、自分の心の在り方で、まさしく天国にも地獄にもなりうるということがわかったのでした。
 それからそれまで神はひとつであり、それ以外のものは神ではないという教えや自分の信念は、大きく変わっていき、特にインドにおいて霊性修行をはじめるようになると、実に多くの神々が宇宙に実在し、その神々が協力してすべての生命を導いているのだと理解できるようになると、ようやく私の心の中に間違いない道を歩もうとしているという実感がわいてくるようになるのでした。
 その後、直接様々なメッセージを受け取ることができるようになった私は、自らの何世代にもわたる過去世を高い存在から教えられ、その流れのもとで自らが今世、どのように歩もうとしているのか、何を果たそうとしているのかを幻ではなく、現実のこととしてはっきりと知ることができるようになり、ついに中間世における自分の作り上げた今世の計画書を垣間見ることができるようになり、ようやく私は今、自分の計画した道を間違いなく歩んでいるのだという安心感と満足感に満たされるようになるのでした。
 なぜ、私は忘却の幕を通過して、通常ではなかなかあり得ない自らの作り上げた計画書や人生の目的を知ることができたかということは、次回のブログでお話したいと思います。

第17回 自らが自分の人生を計画し、実行する

 暑い、暑い夏が過ぎてゆきました。私は今年の夏は丹沢山系の縦走をしようと考え、2泊3日でひたすら山の中を歩き続けました。
 山頂に登ったときの達成感や爽快感は、何とも言えません。一度この感覚を味わった者は、病みつきになりますが、日頃、なかなか時間がとれない私としては、夏休みを利用して山小屋に泊まりながら縦走しようと計画しました。
 しかし、いざ、登山をはじめてみると、石ころだらけの岩山を登ってゆくのは難儀なもので、少し登るだけで息切れがしてきて、みっともないくらい汗をかきかき、休み休み歩き続けたのでした。
 いくつかの山を登り降りしながら目指す山に向かっていくのでしたが、目指す山は遙か彼方にあり、絶望的な気持ちにさえなってしまうのでした。
 やがて高度が高くなってくると。辺り一帯、靄がかかり、周りがまったく見えなくなり、幻想的な様相を呈するようになってゆくのでした。
 たぶん、登山のことにあまり興味の無い方にとっては、何でそんな苦しい思いをしてまで山に登らなければならないのかと思うのではないかと思いますが、登山をする者にとしては、途中は苦しいかもしれないけれど、達成したときの喜びのことを考えると、一時的な苦しさは乗り越えることができるのではないかと思います。
 日が暮れる前にようやく山頂の山小屋に着いた私は、雄大な山の嶺々を眺めながら、達成した喜びをかみしめたのでした。
 質素な夕食を終え、山頂に立って夜空を眺めると、下界とは全く違う空間が広がり、「来てよかった」と思い、満足することができました。
 同じ場所であっても、高度が違うと環境はまったく異なり、下界では猛暑が続いている中、涼風が流れている山頂で、私はしばし、満足感に浸っていたのでした。

 前回の話から引き続いて今回は私達の人生の計画書はどのように作られるかということについてお伝えしたいとお思いますが、先ほどの山の話しが、この人生における計画にも通じることがあると思い、はじめに紹介しました。
 自分自身の人生を振り返ってみても、ちょうど山歩きのように様々な紆余曲折がありました。
 ごく平凡な家庭に生まれ、10代半ばまでは何事もなく過ごしていた私ですが、その後は、これでもかというくらい、大きな出来事に巻き込まれることも多く、それはまるで最も辛い山登りをしているようなで状態であったと思います。
 しかし、気づいてみると自分はそれまでとは全く違う世界にいて、精神世界にどっぷりとつかっている自分に気が付くのでした。
 その後、私はまるで何かに憑かれたかのように、この世界を歩み続けたのでしたが、そのたびに、親しい者が離れていったり、批判されたりして苦しい思いをしたものでした。
 私の思いや願いに共鳴してくれる者は、私の話やヒーリングを喜んでくれたのですが、私の行動を理解できぬ者は、私がおかしくなったとまで言って、私を攻撃するのでした。
 喜び、感謝してくれる者と無視し、批判する者の間にはさまれて、私は苦しみぬき、孤独感にさいなまれることもありました。
 それぞれ人には様々な人生があって、順風満帆の人もいれば、生まれた時から苦労続きの人もいます。また、病気に苦しむ人、貧しさや人間関係で苦労の絶えない人もいます。 
 「このことは誰が決めたのか」。私は以前から疑問に思い、この不公平感をどうしたら解放できるのかを思い続けてきました。
 そして、私の使命である『過去を解き明かし、未来を語る』ことを行うようになって、次第に自分の身に起こることは、神が罰するためのものではなく、私達自身が自らの発展成長のために計画、実行していることに気づいたのでした。
『自らが自分の人生を計画し、実行する』
 これが、多くの人々の人生を見てきた私の結論です。
 その計画は、いつどこで、どのように作られているのか、いよいよ次回、詳しくお伝えしたいと思います。

第16回誰もが皆、神の化身4

 インドに訪れるようになって今年で24回目になりますが、その中で私はたくさんの不思議な経験をしました。
 まだ、現在のような形でエネルギーの世界を十分知らない時、私は一人のインドの占星術師(ジョーティシャー)を紹介され、その方に自分の運勢を見てもらったことがあります。
 占ってもらうためには、生年月日と生まれた場所、そして生まれた時刻が必要なのですが、生まれた時刻を知らないため、日本にいる母親にすぐに電話を掛けました。
 しかし、母親が言うには、病院ではなくお産婆さんのところで出産したのでわからないというのでした。
 せっかく念願のホロスコープ(人生の記録)を見ることができると思ったにもかかわらず、それではできないのか、とがっかりしたのですが、占星術師は、私のこれまでの人生の中で、最も重大な出来事の日時がわかれば、私の出生時刻がわかるというので、私の人生の中で一番辛い出来事があった日時を伝えました。
 占星術師は、その出来事から私の出生時刻を割り出し、私のホロスコープを作ってくれました。
 当時、私はまだ気功をはじめたばかりで、全く現在のような他人の過去世や未来世を含めたリーディングを行っておりませんでしたので、ホロスコープを読み聞かせられるたびに、驚きと感動の連続であり、「すごい」の一言でした。
 その占星術師は私が55歳から56歳の時にスピリチュアルな本を書くこと、はじめの娘を若くして亡くしたこと、二度結婚をすることなどをリーディングし、私としては過去の事故で最初の妻と娘を亡くしたことは言っておりませんでしたので、ズバリそのことを言われた時は愕然としました。
 その後、その占星術師とは色々な事があり、つきあいはなくなったのですが、今年、まさしく56歳の時に、自然の流れから私は「過去世リーディング」というスピリチュアルな本を出版したことは間違いのないことですし、未来に対する予言は確かなものであったと言わざるをえません。
 その後、私は何かを引き寄せられるように精神世界とエネルギーの世界に入っていくのでした。
 私は過去世でインドの修行僧をしていたことは、このブログの中でお話しましたが、その修行僧の時に、アガスティア葉で有名な、予言者アガスティアの流れを汲む修行僧の弟子でした。私はインドで修行をしておりましたので、そのことが現在の私の活動の基盤となっていることは不思議でありますが、私にとってはもっともなことであります。
 その後、私もホロスコープや占星術の勉強をするようになると、はじめて受けた時の説明が当然のように読みとれ、わかるようになり、結局、私もホロスコープの通りの人生の流れを歩いていると思うに至ったのも、事実であります。(ある意味では運命論)
 しかし、私は『過去世リーディング』でも書きましたが、自分の人生は自分の意志で決めているということがわかるようになると、実は、ホロスコープは過去に基づいて自分が決めた計画図であるということがわかってきたのです。
 つまり、中間世で決めた計画を星座や星の動きで表したのがホロスコープであるとわかると、それならば、私達が自分の意志で人生を決めている限り、変更することも、キャンセルすることも可能であるのです。
 確かに星の動きは、大きな力で私達に大きな影響を与えておりますが、私達の人生の流れを本当に現在の状況の中で、深く考え、実行するならば、私達は現在の状況に中にあっても、本当に自分らしい生き方をすることは何ら難しいことでもなく、できるものと思います。
 占星術の鑑定で、あまりにも人生が悲観的であったり、高価な石を買わされたり、お金を要求されたりという事があると聞き、クレームも多いのですが、私としては、人生の流れを正確に読みとるという意味では、占星術(ジョーティッシュ)は、すばらしい方法であると考えております。
 私のジョーティッシュに対する考え方は、人間、一人ひとりが生まれた時に東の空に上昇してくる星座(決して下降ではない)から人生がはじまり、その人が生まれることは素晴らしいことであり、祝福されているということなのです。
 全ての人が皆、神の化身という意味においては皆が祝福された存在であり、自らが今世の人生を毅然として歩むためにも計画書に基づいて歩んでいるということなのです。
 ただし、計画書の作成者が私達なら、私達は自らが計画の変更もできると言うことも事実なのであります。
 あなたの人生はあなたのものであり、あなたが自分の人生の主役となって、よりよい人生を歩めるよう、心から願い祈っております。
 それが大いなる宇宙の存在の意志でもあるのですから。
 次回は、人生の計画書はどこで作り、どのように作られるのかをお伝えしたいと思います。

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