今年も5月13日から22名のメンバーでインドにいらっしゃる聖者サティア・サイババ様のもとへの巡礼の旅を行ない、23日に戻ってまいりました。
今回、真夏のインドの暑さを避けるために、サティア・サイババ様はアシュラム(寺院)の中でも最も小さく、避暑地であるコダイカナルで私たちを迎えてくれました。
通常、最も大きなアシュラムのあるプッタパルティでは、毎日何万人もの人で溢れかえり、朝早くから並んでも遥か彼方にしかサイババ様は見えず、寂しい思いすらするのですが、今回のコダイカナルでは、メンバーのほとんどが最前列に座る事が出来、男性の一人は直接サイババ様から声をかけられ、またある女性は手紙を受け取っていただき、さらにアルケミストの過去世映像画家である者は、彼女が描いたサイババ様の絵を直接、サイババ様のローブに触れさせていただくという幸運に恵まれ、口では言い表せないほどの祝福を受ける事が出来ました。
そして、まるで図ったかのように私達がコダイカナルを離れるその日に、サイババ様もコダイカナルからプッタパルティに移動され、メンバー全員がババ様の愛情に触れ、感激しました。
さらに私の旅のもうひとつの目的は、アルケミストのスタッフ6名と共にサティア・サイババ様の前世であるシルディ・サイババ様のもとを訪れる事でありました。
一旦私たちは、一緒に来た者達と別れ、スタッフ6名と共にコインバートル空港から飛行機を乗り継ぎ、ムンバイ(以前はボンベイと呼ばれていました)から250km離れているシルディ村に、長時間の車での移動の末、念願かなって訪れる事が出来ました。
何故、それほどまでに、今は亡きシルディ・サイババ様のアシュラムを訪ねようと思ったかというと、私が前世でシルディ村に住んでいた記憶があり、その記憶を辿るためにシルディ村にやって来たというわけであります。
私の遠い記憶の中では、シルディ村は僅かの村人しかおらず、小さな村でしたが、実際100年以上たって訪れてみると、未だに村と言う名前こそ残っているものの、村は人で溢れかえり、特にシルディ・サイババ様の寺院の中で、インドの夏休み期間ということもあったのでしょうが、たくさんの人が押し合いへしあいしながら、シルディ・サイババ様の墓や像の前で祈っている姿を見て、最初は私が描いていたイメージとあまりに違うために唖然とするばかりでした。
しかし、次第にその騒然とした、場の中に慣れて来ると、過去の記憶が次第に蘇ってきて、心の深い意識の中で、当時の思い出が甦ってくるのでした。
過去世の私は、幼い時に訳あって母親と共にムンバイからこの小さな村に移ってきたのでありましたが、やがて、私は一人、修行の道を歩む事になり、シルディ村から40km離れた岩山に移り住んだため、今回、その岩山が実際にあるのかを確かめたかったので、案内の者にその場所を捜してもらう事にしました。
過去世の中で見たとおり、車で40kmほど離れたところに、過去で20年以上に渡って修行した岩山が実際にあり、その岩山に私は100年ぶりに戻る事が出来たのでした。
切り立った崖と、平たい台形状の岩山は、間違いなく私が過去でいた場所であり、石窟があること、そこから頂上に登って行く道があることなどを思い出しながら、思い出の場に戻る事が出来ました。
私は、その場所で修行の途中で岩山から落下して若くして亡くなり、その時に両足が粉々に砕けてしまい、その痛みが甦ってきて、数年前から始まった事ですが、今年もインドに行く直前から足は何の怪我や傷も無いのにも関わらず、赤く腫れ上がり、全く歩けない状態でありました。
今回もスタッフにお願いして、私は車椅子でその修行の場である岩山に辿り着いたわけでありますが、本来ならば階段を上ってその岩山の頂上に登り、自分の修行した場を確認したかったのですが、私は山のふもとでスタッフの皆が階段を登る姿を見ながら、「これで足の痛みの記憶を終了し、次ぎに来る時は岩山の頂上に上り、さらに自分の過去で行なった体験を確認しよう」と決心しました。
木陰で休んでいると、その山のふもとの村に住む青年が私に声をかけてきて、私に様々な事を尋ねるのでした。驚いた事にその青年はインド人でありながら色が白く、青い目をしており、まるで過去の自分が甦ったような気がして、深い感動を覚えながら、その青年と一時の時間を過ごす事が出来ました。
実は私は前世において、父親が英国人であり、母親がインド人という混血であり、その青年の姿を見たときに、まるで過去の自分の姿を見たような思いがしたのです。
わずか30歳という若さで修行の途中で崖から落下して死亡した自分にとって、目の前にいる青い目をした青年はまるで過去の自分のようであり、優しいその青年と互いにたどたどしい英語で言葉を交わしながら、過去の自分とその青年をオーバーラップさせていました。
そして、その青年と別れるときに、私が必ず戻ってきてその青年と一緒に岩山に登る事を約束したのでした。
現在は岩山の周りは渇ききって潅木しか生えておらず、渇いた大地がむき出しになっていましたが、100年前のその場は緑に溢れ、森が延々と続き、森の小道を通って岩山に登っていました。
私の記憶の中で鮮明に覚えている事は、まだ正式な修行者になる前の自分が、ふもとの村から瓶に水を入れて小さい体で一生懸命岩山の頂上に、修行者のために水を運んだことであります。それから二十数年に渡ってその場に住み着いた私は、二度とシルディ村で暮らすことは無く、ほとんどその岩山で暮らしたのでした。
私を指導する僧侶は、シルディ・サイババが勧めてくれた者であり、そのグル(霊的指導)は聖者アガスティアの流れを汲む者であることを、今回偶然知ることができ、今世、私が使命としている「過去を解き明かし、未来を語る者」という事が、過去からしっかりとつながっていた事に気付き、さらに深い意識の中で納得し、感銘を受けたのであります。
これから私のブログの中で、私の使命を皆様にお知らせすると共に、皆さんが自らの使命に気付かれて素晴らしい人生を歩むための様々な方法についてお伝えする事を心から願っております。
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